前頭葉壊滅主義

私の脳は欠陥住宅だって住んでる虫が言ってた

夢の不在

 

 

 

なりたいものがあった。なりたかったものがある。なりたかったものがあった。全部忘れたけど。全部無かったことにしたくて本当に全部無かったことにしちゃったけど。本気とか一生懸命とか返り咲きとか大逆転とか波乱万丈とか健気とか苦労とか青臭さとか若さとか、全部引っ括めて大昔に捨てた。なりたいものがあるということは将来がある(と仮定している)ということで、そういうことについて熱く語っちゃう人間味は薬と酒と胃液と一緒に吐き出してトイレに流してしまった。夢をみるにしても、就きたい職に就くにしても、環境が必要だったり努力が必要だったりお金が必要だったり、それら全てが必要だったりする。夢はみるものじゃない、夢は叶えるものだ。そう言われて素直に笑ってあげられるほど、そういう人間に寛容であれたら良かった。夢は追い求めるものだって少年Bが言ってた。私は毎晩悪夢に追い回されてるよ(笑)なんて言わないけど。言えないし。笑えないし。夢を見るのも夢を叶えようとするのも追い求めるのも、全然構わない。好きにすれば良いよって思う。夢を持つ資格(資質かもしれない)を持てるのは、健全な自分を持ってる人間だけだ。健全な自分というものを、持たせて貰えた人間だけだ。そう思ってるけど全然そんなことなくて、ただ自分にそう言い聞かせて思い込ませてブレーキかけてるだけなんだ、たぶん。私の7割は僻み妬みという泥沼で構成されてるので、夢に向かってスキップしてるキラキラ人間が近くに居るとそれはもう眩しくて眩しくて、自分の卑屈さとか怠惰さが色濃く映されてしまって、余計に僻んで羨んで、人間からかけ離れて距離を離され過ぎて最後は泥人形になってしまう。どんだけ自分に自信があんだよって冷ややかな目線を送りつつ、目蓋の裏には怠惰という概念を擬人化したかのような人間=少女Yが醜く映り込む。いつになったら少女Yは死ぬんでしょうか。生きることも死ぬことも侭ならない。生きようとする人間を嘲笑しながら、死人を羨望しながら、中途半端に浮かんでる死んでいないというだけの死人。自分だけが膜の内側に籠もりながら、自分だけは幕の外側に居るつもりで、悲しいほど愚かだ。これがやりたいとか、これになりたいとか、そういう偶像を見てられるなら、いつまでも生きていけるんじゃないの。捻くれてる私は間違ってると理解しつつも、そう言わずには居られない。目指して、追い求めて、叶えてしまえばいいじゃんか。時間も、お金もあるんだから。足に力が入らなくても、つかまり立ちできる程度に支えがあるんだから。どこまでいっても誰かと誰かの子で在れるのは、ある種の人間からしたらとてつもなく羨ましいものなんだということを、頭じゃなく身体で、理解して居ないんだと思う。誰かと誰かの子で在ることが、時には足を引っ張るものだというのは承知の上でね。私は理解している、と断言されたら、鼻で笑ってやる。理解していたらそんな言動、とてもじゃないけど恐ろしくて出来ない。絶対に。理解していないんだろうと思う。何も知らないけど。何も誰も聞いてないけど。頭で理解するなんてことは、言語を、文章を通して、少し離れたところから見れば良いだけなので、容易だ。そんな話じゃなくて、床の冷たさとか、尺骨の突起の痛みとか、皮膚が錆びるような虚無感とか、そういう身体的な傷みが、分からないだろうってことで、分かるはずも無いんだけど。だから夢なんて見てられる。それは素晴らしいことだ、素敵だ、最高だ。そう言って、送り出そうと思う。だから嫌なんだ。だから嫌いなんだ、比べてしまうから。どうしても、比べてしまって、でも話にならない。なるわけがない。だって、傍にいない。そして、傍に居るんだと思う、それでも。全然笑えない。主観でしか見てないわけではなくて、客観的に見れてるわけでもなくて、幕の外から見てるんだ私は。申し訳無いけど、そこからしか見てられない。若さや無邪気さなんて、そんなのがプラスに働くのは本当に若いときだけだ。若さって、若くないと何も意味がない。ある意味子供だし、ある意味もう大人だから、なんの役にも立たない。自分は大人だと自覚して、子供だと痛感して、その繰り返しだよ。毎日見定められて、大人で在れ、子供の癖に、そうやって追い詰められて擦り減っていって残った数が今もう21ってだけだ。若さってのは未熟さでもあるから、仕方がない。でもそれで痛感してしまっているから、もう同じ場所にはいられない。元々、かけ離れたものではあったけど。口から手が出るほど、だったのは私だけで、それは誰も知らないけど。傷付いたわけでも無いから責める気にもならなくて、ただもう私はまた膜に篭ろうと思うだけ。何も変わらないし変わってない。私は夢をみない、みようとしないだけ。どっちが幸せかなんて分からない。どっちも幸せかもしれない。まだ、袂を分かつことになるかどうかは分からないしもうたぶん知らないけど、離れることが出来れば良いね、とも思うし、一緒に居られたらそれが一番良いのかもね、とも言ってあげられる。言ってあげられるってだけ。夢を見続けることが出来てるんだから幸せを噛み締めろなんて、そういうことを強いるつもりはない。流されやすいと宣うなら、流れが強いのはあちら側だったんだねって思うし、結局、という気持ちが少なからずあるのが残念でならない。夢を見るのは幸せだ。夢を見ていられたなら幸せだった。分からない。職に関しても家族に関しても、同じことが言える。井戸の底へ一滴だけでも光が差し込んでくれていたなら、と今更だけどそう思う。仕方がない、仕方がないよね。誰も、井戸の口を開けようとしなかった。井戸の底にただ在るだけだった私も悪い。受動的だ。良くないね、人間。自殺も、受動的だ。