前頭葉壊滅主義

私の脳は欠陥住宅だって住んでる虫が言ってた

「この世はわからない事だらけなので僕のして来た事は全部許して下さい」

 

 

 

住田くんが父親の頭をブロックで殴りつけてるその時に裏の家では母親に「ご飯よー」って呼ばれてる兄弟がゲームか何かして遊んでて、吐き気がした。私は父親を殺したこともなければ600万の借金を肩代わりしてくれる友人も居ないので、普通の範疇を超えていない側の人間だと思う。だから住田くんに心から共感したり自己投影したりは出来ないんだけど、何でこんなことになったんだろうとか何で普通で居られないんだろうとかそういう色々の理由が全部環境というか運だって分かってるつもりで、だから余計にしんどくなってしまった。もちろん父親を殺したことが無ければ普通の人間だと決まってるわけではない。ポイ捨てしない人間が必ずしも善人であるとは限らないし、ポイ捨てした瞬間から悪人になるわけでもない。普通の線引きが分からないし、色んなものの線引きが分からない。例えば普通とそうでないものの線引きがあるとしたらそれは時代によって、国によって、環境によって、人によっても変わる。変わるんだろうけど、普通という言葉を人は多様する。私も多様する。普通に考えたら分かるよね?普通にしてれば出来るよね?と言って人を責め立てることをした事がある。でも本当は言葉に責任が持てない。言葉自体が不明確で、私の主張もそう、「一貫性が無い」という一貫性しか持ち合わせてない。自分の考え、思想とか、主張みたいなものもたぶん全然無い。その時その場での感情があるだけで、何かに対して一定の感情を向けてたりとかも無い。自分の性格もよく分からない。ただ「そういう風」な人間を好む人間に、「芯がある子だね」とか「きちんと自分を持っているんだね」みたいな言葉を吐かせる為のものだ、私のその場限りの主張は。そういうのを何年も何年も何年も繰り返す為には私の主張、私の芯とか私の性格みたいなものがない方がたぶん楽で、「キャラ」みたいなものが定着してしまうのは全然構わないけど、じゃあその人間の中身を曝け出そうという話になったときにそれが私の中に定着してしまっている状態だと、あらゆる場面で融通が効かなくなる気がする。私は本当に不器用で頭の悪い人間なので、自分の中にしっかりと意思を持ちながら別の人間を演じたり、自分の中の意思をねじ曲げて包み隠して全く別の思想を持った人間に成り代わることは出来ない。本当は、いつもしんどくて思ってもないことを口から吐き出すのも苦痛で、嫌々演じてて、軽やかに生きていけてない。私は、割と平気じゃない、今。思ってもないことを口に出すのも、好きでもない人と喋り続けて機嫌を取るのも、全然平気じゃないし、得意じゃない筈だ。でなければこんなにしんどくなる筈がない。しんどいし、全然何も忘れられないし、いつも頭にこびりついて離れなくて、自分に自信がなくて虚勢をはるばかりで、辛い。人と関わるのもすきじゃないし、友達と呼べる人間がたくさん居るけど、居るって言ってるけど、本当は要らないし、一人で良い。全部疲れる。自分をどんな人間に見せかけようとか、自分のことを良く見せようとか、そんな事ばかり考えながら人と接して、それが自然に出来てたと思ってたのが馬鹿みたいだ。自分のことが何も分からないと思ってたけど、本当は誰のことも何も分かってなくて、みんなは全部何もかも本当は分かってて、分かってて私がそう演じて取り繕ってるのを見てわらってるんじゃないかと思うと人と関わり続けるのはもう怖い。本当に、それを自然にやってると思い込んでてそれが身についてると思ってたけど、そう思ってるのは私だけだったらどうしよう。嘘つきの罰は、人が信じてくれないということだけで無く、他の誰をも信じられなくなることだというけど、人を信じたい気持ちはもう無くて、信じてるフリをしておいて裏切られても困らないようにしているつもりはある。そうやって生きてるけど、本当は、嘘がバレることが一番怖くて、親しい人には私が親を捨てた親不孝者だっていう風に話してて、そういうバカで何も考えてないちゃらんぽらんな人間の様に見せかけようと必死なのに、それがバカみたいな嘘だってみんなが知ってて、今でさえこんなに惨めなのに、それがどっかの誰かからバレてたらどうしようってずっと思ってる。でもそうだったとしても私はたぶん人のことを何も分かってなくて人の気持ちも本当は分かってないので、気付けない、自分が思ってることもいつもわからないし、自分がやりたい事とか、無い。だから何もしたくない。本当はたぶん仕事頑張ってる自分とかも好きじゃない。褒められたいとか認められたいとか、そう思ってるんだと思ってたから、褒められたいとか認められたいとか言ってたんだと思うけど、そういうのも要らない。頑張ってないし、頑張りたくもない。全部取り繕うのも意味がない気がしてきた。誰の為にこんな事してるのかも全然分からない。全部意味がない。だって最初から無理だった。意味がない。結局そこに行き着くのかって思う。私が頑張ってたつもりだっただけで、全然頑張れたことない。自分の為に人を動かして、たぶん出来るだけ人のお金で生きてきたけど、結局どうにもなってない。どうにかなりたくて、必死なつもりで、成り上がってきたつもりだったんだろうけど、全部最初から無意味で、馬鹿みたいだ。頑張ったつもりになって自分に酔って居られれば良かったのに。私に出会って私を好いてくれて内面を見た気になって見せた気になって、そうやって深い仲になったつもりに、お互いなってしまっている人に、貴女に出会えて良かったと言ってもらえたこともあるけど、その言葉を掛ける相手が私である必要は無いし、その人が私と出会ったタイミングで、その人と何か深いっぽい話をして仲良くなったつもりになる相手も私である必要はお互い無いし、私が誰かと関わる必要って本当に無い。拗ねてるわけでも何でもなくそうだったら良いなと今だけかもしれないけど本当にそう思う。全部そういうしがらみが鬱陶しい。終わらせたいのか、停滞していたいのか、そういうのも全部分からない。誰かに委ねたいとさえ思う。全部考えることが面倒で面倒なのに辞められないのが本当に嫌だ。こんな風に、被害妄想なのかそれが妄想なのかも分からないような考えがずっと止まらなくて、これが私の昔からずっと変わらない性格なんだと思う。時分の性格も何一つ分からないとさっきまで思ってたのにもう主張が変わる。「本当の自分が分からない」とか「私は空っぽな人間だ」とかそういう10代の、思春期のありがちな悩みというか自己陶酔に、陥ってしまっててそこから抜け出せなくて、自分が気持ち悪い。自己愛が強いんだろうか。もしかしたら自己愛の塊なのかもしれない。こんな風に頭も悪くて使い物にならない脳みそだけがいつも動いてて、自分が性根の腐った人間であることを自覚している筈なのにまだ死ねてないし、呑気に水商売とかやって酒飲んで薬飲んで酔ってラリって馬鹿みたいに惰性で生きて、何が楽しいんだろうか。でもまだ死んでないし、やっぱり将来にまだ希望とか持ってしまってるんだろうか。馬鹿みたいだ。ここにこんな風に書き出しても何もかわらない。自分が自覚しなければいくら文字におこしても何も分からないし変わらない。何でこんなことになったんだ、と言うと高いところから転落したみたいでしっくり来ない。元々こんなものだしそんなところからのスタートだったわけだし、そこから抜け出せなくて這い上がれなくてなんとか昇華したつもりになってたのも滑稽で、結局私は何もどこにも行けてない。死んで欲しい人間が本当にたくさん居るけど、それよりまず先に自分が一番に楽になれたらそれが一番良いと思える。死に急ぐこともないと思うけど、惰性で生きるのも違う。まっとうに生きることも出来なくて、本当にどこもにも行けない。逃げ道が無い気がしてくる。誰にも何も理解されたくない反面誰かからの何かを欲してる気もする。やり直せるとか、今はそうかもしれないけどいつかとか、そういう希望を持たせるような言葉を私に向ける人間は浅はかで何も分かってないと思ってしまう、本当に生まれてきたくなかったと心から思える人間とだけ話をしたいとも思う。今は腐ってるだけだとか変われるとか、そんな事はない。生まれた場所とか、育った環境なんてのは、先天性の疾患と変わらない。私が何かを選択してそこに産み落とされた訳ではない。私が今こうなってるのは私のせいだけど、そこで植え付けられたものは変えようのないものだったと思う。そこから這い上がった人も居る、そこから更生した人も居る、精神疾患寛解した人が居る、そんな事は知った上でこっちも言ってるのに。その人はその人であって私じゃないし、私に与えられた選択肢にはそこに行き着けるだけこものが無かっただけで、これは私のせいだけど、その辺に関して私以外に私を責める権利は無い。私以外の人間が変われるとか立ち直れるとか、言える事じゃない。変えられない事が多かったし、選べない事が多すぎたのを知らない人がそういう事を平気で言ってくる。出生を選べるシステムがあるとしたら私は生まれて来なかったってずっと思ってるのに。ずっとそうなわけじゃないって、そう言われるけど、それは病気の話なのか私の話なのかも分からないし、ずっとこうな訳じゃないけど、ずっとここから抜け出せない。同じところをグルグル回ってるだけで、実際何一つ好転したことなんて無い。いつまで腐ってるんだとか、そう思われるかもしれないけど、そうじゃない。腐ったものはもう元の状態には戻らない。そんなのは普通のことで腐ったものは破棄するのが当然なのに、人間にはそれが通用しない。分かってもらいたいとは微塵も思わなくて、ただ分かったフリをして欲しくない。分かったつもりになってなだめられたくない。私はこんな風に誰かに怒りたい訳じゃなくて、ただ一定の距離を踏み越えたところの先には何も触れてほしくなくて、無理に掘り返したり聞き出されたりとかそういう余計なお世話の無駄な善意にうんざりしてる。ぽっと出の知人Aに話して解決するのなら、今頃こんな身体になってない。元から駄目な人間なんて居ないんだとか元から悪い人間なんて居ないんだとか、それが分かってて何故「少し休んだら良くなる」って平気で言うんだろうか。元から駄目な人間が居ないということは、何かがあって駄目になった人間だってことで、駄目になるまでの過程で何があってどうなったのかも知らずに、何故誰もが、というか私が元の駄目になる前の状態に戻れると思い込んでるんだろうか。理解されたくない。理解出来ると思われてる事自体が不快で、そんな浅はかな人間と話すことなんて何も無い。頑張ればどうにかなってきたんだろうな、と思う。頑張ればどうにかなるのはそういう事だけで、そういう事にしか出会わなかった運が良い人間だけで、そういう運が良い人間と話したところでこっちが救われることなんて何も無い。こんな捻くれた人間はもう修復不可能だから、放っといてほしい。私の何かを変えてあげられるとか、思わないで欲しい。ちゃんと突き放す言い方をしてそれを遠回しに伝えたつもりなのに、何一つ伝わっていないのか、伝わった上であえて鈍いフリをして踏み込んで来ようとしてるのか分からないけど。普通のつもりでやってるのに、普通が遠いから何も見たくないし聞きたくない。普通を追うのは疲れるけど、そういう不確かな目標を頭の中に創り出さないとやっていけないと思ってて、でも今はその虚構を追い求めることにも本当に疲れてしまった。届かないことにも本当は気付いてて、でもそうするしか無いからと思ってやってただけだし、実際心から普通になりたいと思ったこともないのかもしれない。追いつこうとしながら普通のフリをして溶け込めてるつもりでいたのも、今思えば本当に滑稽で笑える。最初から駄目な人間も、最初から悪い人間も、絶対に居ると思う。元々悪い人間しか居なくて、善い人間なんて言われてる奴らは悪い人間達のの上澄みの部分だろうと思う。子を産み落とすことは殺人と同化だとも思う。でもこれが正しくないのも分かるし、たぶん今だけ感情がたかぶってそう思うんだろうなってのも何となく分かる。もう何を書きたかったのかも今分からなくてこれを書いてどうなりたいのかも分からないし、これを書いて残しておくことが私にとって良いことなのか悪いことなのかとかも全然分からないけど、少し頭のガチャガチャした層が剥がれてきて脳がクリアになっていってるのが分かる。これをこのまま全部ぶち撒けてしまえばもっと楽になることは沢山あるんだろうと思うけど、誰に伝えたいのか誰にぶち撒ければ正解なのかが分からないから、これは誰かに伝えることなく終わる筈だ。私はいつも自分のことは自分が一番分かってると言い張るけど多分人が思ってるより自分のことを理解出来ていない。何より感情に付いていけてないのが現状なので、これを誰かに伝える前に自分で読み返して数分か数時間か数日前の自分の感情を理解して、自分の操縦が上手くなる為の糧に出来たらそれで十分だ、ということにしようと思う。そういえば今思い出したけど、冒頭で書いた住田くんの話をしたかったのも、今日これを書こうと思った理由の一つだった。住田くんは、古谷実の描いた人物の中で割と好感度の高い方に居て決して好きでは無い筈なんだけど、見てて心を揺さぶられる気がするので、多分心の底では少し好きなんだと思う。ちなみに映画も好きだけど、ラストに救いが無いので、そこは悲しいなと思う。このブログタイトルも、古谷実の漫画に出てくるある人物の台詞なので、このブログをもし誰かが読んでくれたとしたら、古谷実をオススメしておく。それでは休憩が終わるので、これから自転車を組み立てて来ます。最近寂しいので、暇な人が居たらツイッターとかで話しかけてください。もし読んでくれた人が居たら、ありがとうございます。