大金払って人殺しを許容されたい

自分だけが楽をするのは好きだ。平和主義者でも博愛主義者でも無いので、みんなの平和もみんなの幸せも知ったこっちゃない。私と私の大切な物(者)だけが守られて楽していければそれで良いと思う。そして自分だけが損を被るのは嫌いだ。たぶんみんなそうだと思う。自分が苦労するのと、みんなが楽している中一人で苦労するのは苦痛の度合いが全ッ然違う。感じ方の問題なので何とも言えなくてこれは私の主観だけど、自分が何かしら苦労をした時してる時、自分以外の人間をみんなと呼び、敵視してしまいがちなのだ。お前らだけ楽しやがって、何で私だけがこんな思いをしなきゃならないんだ、という感じで。私だけかもしれない。でもまあ、人間誰しも自分だけが損を被るのは絶対に嫌いなはずだ。みんなが同じくらい苦労してるなら耐えられることも自分だけがその苦痛を背負うとなると本当に心が折れる。そういう感情が最近強い気がする。とにかく私だけが損してて、みんなが楽ちんルートを走ってるのが許せない。みんな、たぶん誰もが自分だけが負債を背負うのは嫌だ。だけど世界中の人間全員がウン億万の負債を背負っている状態からのスタートなら、もはやその負債は負債でも何でもなくなる。ただの数字としてそこにあるだけな筈だ。そっちのほうが楽だ。みんなが自分と同じだけ苦労してみんなが自分と同じ底辺まで落ちれば良いと思うのだ。みんなが底辺に落ちてくればそこは底辺ではなくなるだろうし。とにかく話が逸れに逸れてしまっているけど、とにかく自分が、自分だけがする苦労が一番嫌いだし、辛い。だからみんなで楽をしようとかみんなが休憩をとれてみんなが定時で上がれる方法を考えようという方向にいくのではなく、自分もこれだけのことをさせられていたんだからコイツらだけが楽をして良い訳がないとかいう謎理論を展開する上司が居るし、非効率だとわかっていながらもその仕来りのようなものを変えようとしない上司がいる。分かりやすい例えで言うとこれ。俺達が若い頃は徹夜でサビ残当たり前だったとか何とか。知らんがなって感じの。時代錯誤なことを言い出す奴が居る。仕事に関してはこんな考え方1ミリも共感でないけど、言いたいことはわかる。自分たちが若い頃に押し付けられた苦労を今の若い人達がしなくて済むのなら自分たちがあれだけ苦労したのは一体何だったんだ、とかそういう気持ちが生まれてくることもあるのだろうし、若い世代にそういう負の遺産を引き継がせることによって何かしらの不満が解消されるのかもしれない。知らんけど。何故自分だけが苦労しなければならなかったんだ何故あいつらばかりが楽をしているんだ何故あいつらだけがあんな良い思いをしているんだ。いくら他人にサビ残させ続けようと、自分が若い頃に苦労した事実は覆らないんだけど、そんなことはわかっているんだけど、でも自分だけがあんな思いをさせられたんじゃ割に合わない、こういう考え方。よろしくないです。ちょっとってかだいぶ前にバズってたじゃん。社畜ネタ。でもまあこれは苦労してきたと思ってる人間よりも実際苦労してるのは現代の若い人なのかもしれない。昔は頑張ればその対価がちゃんと支払われていたみたいだし。確か私が見たのは何故みんなが楽できる方法を考えるのでなく、みんなが苦労する方向にいってしまうのだ、みたいなツイートだった気がする。うんうんホントその通りだと思う。苦労してきた人間、苦労している人間、下の人間に合わせて気を遣って、上の人間、能力が高い人間も同じ苦労をするべきだ、みたいな。よく居る不謹慎厨も程度の違いこそあれ同じ類だ、たぶん。社畜ネタに関してはおかしな理屈をこねくり回してる上司達が責められるべきだと思うしちゃんと声があがるのは良い傾向なんだろうと思う。不謹慎厨に関してはその事例による。例えば被災直後の東北で観光客が、炊き出しに並んでる行列を横目にバーベキューでもやっていたらそりゃあもう大変なことになってただろう。まあこれは極端な例なので実際どうなるかは置いといて、不謹慎厨というのは何処にでも居るし誰でもなり得るものだと私は思うのだ。不謹慎とは慎むべき場でしか使われない言葉であって、それならそもそも慎むべき場というものがたぶん人それぞれ違う。慎むべき場はたくさんあるしその場によって慎むべき人も違ってそれぞれそこに居る。慎んで欲しいと思う人間もその場その場で違う。不謹慎厨という言い方をすると意味合いが変わってくるかもしれないが、要は自分がテストの点数で落ち込んでる時に、100点満点を自慢して来られたらちょっと嫌だろ?みたいな話。不妊治療をしている夫婦の元にやって来て、自分の不注意で身籠り堕胎した報告はしないだろ?みたいな(不妊治療は心身ともにとてもしんどいと聞いたので)。それの度合いや話の規模は変われど不謹慎な人間に言いたいことってわかりやすく言うと大抵、周りを見ろ気を遣えみたいな事なはずだ。これ今書いてて思ったんだけど私が言いたいことは不謹慎とはまた別だな。まあ伝われば良いです。とにかくね、ガラッと話が変わるし話が拗れるけど、これは私が劣等感が強過ぎるからだとも思うんですがってか100%そうだと思うんですが、育ちが良いのが滲み出てる人間とかそういうアピールをする人間とか(アピールしてるつもりは無いのかもしれないが私にはそう聞こえる)を見てると虫唾が走る。本当に。大事なところを括弧内に書いてしまったけど、問題は本人にその気が全くない無くとも何故か勝手にダメージを受けてしまってる自分が居るということ。この思考が情けないやら悔しいやらで真面目に泣けてくるしもう辞めたくて辞めたくて、本当に辞めたくてたまらない。そして先程、不謹慎という言葉を例に出してしまったことを悔やんでます、今。これは完全に私の一人相撲であって、彼らは何気なく日常の出来事や当たり前の感情を吐露しているだけなんだろうということは理解してるつもり。それすらも腹が立つんだけど。つーかそれが当たり前だと思ってるとこが腹立つって感じかな。そういう訳でこれは私の愚痴で暴言で独り言なので誰にも刺さらないで欲しいんだけど何ていうかもう本当にみんなの当たり前の思想や環境が羨ましくてたまらない。妬ましい。気持ちが悪い程に自分を悲観していて、悲劇のヒロインに落とし込んでいて、だからこそのこの感情なんだということは理解しているんだけれど、みんな(みんなじゃない)が当たり前に持っている物を私だけ(私だけじゃない)が持っていなくて、それが悲しいし、それが辛いし、その持っている物のことで悩んで苦しんでいるのだろうと想像はしてみるけど一つも共感は出来なくてそれが辛くてその悩みを持てることすら羨ましいと思ってしまっている自分が気持ち悪くて本当に何ていうかもう駄目。無理。自分が気持ち悪いし何も持ってないなんて大嘘で私は色んな人に色んなものを貰ってここまで来た筈なのに、何も持ってる気がしない。これは私の生い立ちがどうとかそういう悲観ぶった話は全く関係なくて、たぶん人が持ってる物(者)が欲しくなる、何もかもを手に入れたいと思う浅ましく欲深い私の性質が原因なんだと思う。自分を人と比べなければ良い話なのだろうと、理屈で説明されて理解は出来る。だが比べないということは見ないということ考えないということを強制されるわけで、見えているものを、見えてしまうものを見ないことにしてそれについて考えない、なんてそんなことは出来ない。私はそこまで自分の脳みそを上手くコントロール出来ていないし、自分の脳みそと対等にすらなれていない。そんな風に私の意思とは関係のないところで勝手に妄想して勝手に腹を立てて勝手に落ち込む、鬱になる、死にたくなる、消えたくなる、涙が止まらない、となっていくわけだ。なんて厄介な精神なんだろうか。そして私が一番駄目だな、最低だなと思うのは「みんな」の中に私なんかより何億倍も苦労しててしんどくて何も持たない気でいる人が居るかもしれないのに、それを見ないことにしているところだ。苦労してる人間が偉いとも思わないし、自分が誰よりも苦労してるなんて思ったことは一度も無いが、私は、苦労してるしんどそうな人間のほうが好きだ。というより、何の苦労もしてないでただ当たり前を与えられてそれを受け入れて当たり前に生きてこられたような人間があまり好きではない、ので、苦労しててしんどそうな人間が好きだということになるのかもしれない。見てて話してて、楽だと思うのは確か。苦労しててしんどそうで辛そうな人間を見てると安心する。見下して、自分より下が居るのだなどと思うことは無いけど、それでも安心するのは、自分も同じようにこうしてどんよりしていられるからだと思う。体調が悪いことや、精神が死んでしまいそうなことを、隠さなくて良いことが安心する。自分のことで精一杯で周りが見えていなかったり、逆に人の辛さに侵蝕されてしまう脆さを持ち合わせてる人が、たぶん好きだし安心する。その中に居ることが安心する。でも最近はその安心する中でさえも、訳のわからない劣等感に襲われるしイライラするし何でこんな思いしなきゃいけないんだと思う瞬間がある。人の苦しみにそれほど興味が無い癖に、人の気持ちが分からない癖に、勝手にその人を決めつけて罵倒したくなることがある。お前が今現在置かれてる環境がどれほど恵まれているか、早く思い知ればいい。知った頃にはもう取り戻せなくなっていればいい。気付いて後悔して絶望して、早く血反吐はきながらのたうち回ればいい。そんな風に人の不幸を願ってばかりで、自分はというとただバイトして家事して腕切ってODしてたまに発作でてたまにフラバしての繰り返しで、誰よりも甘ったれた生活を送っている。自分からしても誰よりも甘ったれてる自覚がある。私はみんなに比べてたぶんそれほど辛くないはずなのだ。それでも、腹が立って仕方がないときがあるし、羨んでは死にたくなってを繰り返す。みんなが持ってる物が羨ましいなら、私もそれを手にいれればいいじゃないかと思った。でも誰の何がそんなに羨ましくて、私がどうなれば満足するのかが分からなくて、だから自分もそれを手にいれれば解決、ということじゃないらしい。厄介だ。私が何を求めているのか分からなくて、私のことを私より理解しているであろう人間に問うてみると「家族愛に飢えてる」「受容されたい気持ちがあるんじゃないか」と言われて、それも何だか誘導尋問されてそう思い込まされただけなのかもしれないが、家族愛、受容されたい、というのは当たらずとも遠からずって感じだ。家族愛、というものは何だかんだよく分かってないし、私が実際に見て知った家族愛なんてものは、親元を離れていた若い頃の私に優しくしてくださった友人の御家族や、フィクションの世界の家庭だけで、正直夢を見すぎてるところがあると思う。私の周りの人間が偶然、温かい家庭で育った人が多かっただけなのかもしれない。親に何を買って貰っただの家族旅行で海外だの何だの、そういうのを聞いてると心からくたばれと思う。本当に何故かそういう人が多いんだ、私の周りには。聞きたくないのだけど「私の親はそんな風に我が子に対して温かい人間では無かったので、そういう自慢話、愚痴を聞くと腹が立つ。私にお前の家族の話をするのは辞めてくれ。」なんてことは死んでも言いたくない。言いたくないというか、言えない。言える訳がない。言えたら今頃死ねているし、そんな風に言える人間の気がしれない。普通に痛々しくて気持ちが悪い。私の周りの人間の話は後で置いといて、置いといてまたぐちぐち長ったらしく書くことにしよう。腹が立つので。対して、ネットの人から聞く話は、あまり居心地が良さそうな関係では無いのかなと思うエピソードが多くて、とても安心しつつ、劣等感に殺されそうになることも少なくない。私が誰かの家庭の愚痴、嘆きの言葉を読んでいて、同情したり心配したり憐れむ気持ちが生まれる時と、その程度で虐待?その程度で?みたいな気持ちが生まれる時と、たぶん同じ文章を読んでもその時々で違っていて(もちろん違う文章を読んでもそれぞれに対して抱く印象は違う)、口に出してそれを伝えることは滅多に無いのだけど、心の中で思ってしまっているので、申し訳無いなと思う。思いつつ、嫌いになる。自分を嫌いになるし、「その程度」のことを受けてこの世で一番の不幸者のように振る舞う人間のこともその瞬間だけ嫌いになる。これは同族嫌悪なんだろう。私が「あの程度」のことをこれだけの年数引きずり続けて居るのを恥ずかしく思うのと同じように、というかそういう自分を見ているようで、「その程度」のことをまるでこの世で一番の不幸を背負っているかのように振る舞う人間をとても気持ち悪く思う。気持ちが悪いし、もう死ねばいいと思う。あいつらも私も。門限が厳しくて、携帯を取り上げられて、私物を捨てられて、今時はそういうのを虐待と呼ぶのだなと思うと私は20歳にして既に時代遅れな人間なのだなと思う。私のフラバしんどい愚痴ツイートに「うちの母親も過保護で、中学生になっても門限が5時だった。虐待はしんどいよね。」みたいなリプライを付けた元フォロワー、ブロックしてしまったけど、今になって申し訳なく思う。彼は私が過去置かれていた状況を知らなかったはずなので、ただ話に乗っかってきてくれただけだったのだろうけど、本当に劣等感とか色々が頭の中でガチャガチャうるさくて、その感情が気持ち悪くて拒否してしまった。それまで普通に会話して仲良くしてた人だったのだけど、そういう一時の感情で、心底憎くなってその人を全否定したくなってしまう。駄目だと思う。ネットだから良いか、とも思う。そもそも私の虐待の認識がズレまくっているのだけど、というか認識自体は間違っていないはず、虐待とは何かという問いへの模範解答を知っては居るのだけど、感情を通した上での私の思う定義みたいなものが、ズレてる。だからといって軽度の束縛を虐待と呼ぶのだとしても、私はそれを聞いて素直に憐れんであげることはできないし、被虐児同士の会話、ということでそういう話の流れになったときに、共感を求められても、「大変だったよね」と上辺だけであっても言ってあげられる自信が無い。過保護、とは何なんだろうか。過保護、過干渉、親との共依存、なんていう言葉をネットでよく聞く気がする。過干渉は過干渉で大変だよ、親との共依存は大変だよ、なんて言葉を掛けられたこともある。それはそれで大変なんだろう。私には計り知れない苦労が彼ら彼女らにはあったのだろう。それでも私はその言葉を聞いたとき心の何処かで、私にそれを言うのは不謹慎じゃないか?辞めてくれ、と思うことがある。不謹慎、という言葉がこの場合正しいのかどうかは分からないし、自分を憐れみ過ぎだと自分でも思う。ただ、私には分からないことじゃないか、愛情から来るのであろう過干渉、過保護、そういう愛情の伝え方を間違えた親に苦しめられるということが、辛いことだとか苦しいことだとか、そう思う感覚が分からないじゃないか。男と女に例えると分かりやすいのかな、過保護、過干渉は重い恋人のようなものなのかもしれないな、と思ってみる。私が人の話を聞いて、見て、の想像だけど。そうすると、自分の感情抜きにして考えれば、しんどいんだろうな、と思う。ただ、私の感情をそこに挟んでしまうと、贅沢者だと思ってしまう。良い歳した大人になってまで親に干渉され続け、自分の人生を滅茶苦茶にされたのなら、まだ同情できる。ただ、親に頼って生きている身で居ながら、過干渉だ過保護だ、そんな言葉を吐いているのを見ると、私の中がドロドロした醜い妬み嫉みで一杯になる。何でそんな言葉を平気で吐けるのかと、そんなに不満なら、そんな親に死んで欲しいなんて言うくらいなら、生まれた瞬間から私の両親とお前の親をトレードしてくれれば良かったのにと思う。中学生の門限が5時って、少し厳しいくらいの普通の範囲の親なんじゃないの。過保護って、年頃だとウザいのかもしれないけど、大人になって親と離れたら思い出して笑い話に出来る程度のことなんじゃないの。知りもしないのにそういう環境に置かれた人達の苦痛を私が勝手に推し量ってごめんねって思うけど、悪いけど、死んで欲しい。過保護だか過干渉だかで親が嫌いだと死んで欲しいと喚いていても、本当に親が死んだら泣き喚いてちゃんと親を失った悲しみを噛み締めるくせに。親のせいで生きづらいと言っておきながら、親が居なければ私は幸せになれるのにとかそんな風に嘆いておきながら、親が死んだら「大切な家族を失った可哀想な自分」をちゃんと憐れんで、周りに同情を煽る癖に。そんなことをいちいち思う。私には、過保護で過干渉でそんな親が嫌いで辛い気持ちは分からない。過保護や過干渉が、愛情からくるものなのか、ただ子供を自分(親)の思い通りに動かしたいという感情の現れなのかは、分からない。どちらもなのかもしれないと思う。過保護も過干渉も、子供を心配に思う気持ちが暴走した結果なのではないかというのも私の勝手な妄想なのだろうとも思う。何も知らないけど、羨ましく思う。ただ、自分を抑制されて、感情を殺され、親の操り人形(笑)になるのはさぞかし辛く悲しい人生なのだろうと言っておく。もうどうやっても同情は出来ないだろう。自分の感情を抜きにして考えれば、「親に自分の感情を抑え込まれるのは辛いよね。親はアナタのため、なんて言葉を都合良く多用しているけど貴方を思い通りに動かしたいだけなんだろうね。しんどいよね。アナタはアナタの親の子供でもあるけど、その前に一人の人間なのにね」なんてこんな言葉を掛けるのだろうか。いや、似たような言葉をかけたことがある。心にも無い励ましの言葉を、私は友人に投げかけたことがあるのだけど、正直1ミリも理解出来ずに居て、話を聞いてて死にたくなってしまってもう駄目だった。当時反抗期気味だった友人は、今、里帰り出産する予定らしくて、結局はそういう事だった。私は酷く幼稚で、頭がおかしいところがあるので、反抗期真っ只中だった友人を勝手に、親を憎んで生きていく戦友のように思ってたんじゃないだろうか。当時の感情はよく覚えてないけど、今の私も、親死ねば良いのに許せない殺したいって一緒になって言ってる子が、突然親と和解したら、やっぱり嫌いになるのだろうなと思う。裏切られたとも思わないし、憎むことなんて絶対にしないけど、ただ嫌いになるしもう二度と話をしたくなくなるのだろう。変だけど、そういう人間で、誰にあやまるでもなくただ申し訳ないと思う。私はいつも、スタートラインという言葉とプラスマイナスと数値で比喩することが多いのだけど、これは比喩なんかじゃなく本当にそのままなんじゃないかと、たまに思う。人生の、人が生まれた瞬間からの損得、勝ち負けのことを考えると、よくそう思う。そして、スタートラインやプラスマイナスで考えるともう私がどうにかしたいと思っていること全部、考えてもキリがないんだということに気付いて、しんどくなる。これを繰り返す。人間は生まれた瞬間から、既に優劣がついていて、そこからの環境でプラスになったりマイナスになったりする。そして生まれた瞬間からマイナスの地点に居る人間はありふれた普通と呼ばれる人間が居る0の地点、スタートラインまでがものすごく遠いのだ。これは私の中での勝手な妄想の話なので聞き流して欲しいのだけど、本当に、遠いのだ。遠いというか、見えない。スタートラインに居るみんなが見えない。あの頃のみんなの当たり前が、やっと最近理解出来て、私は、みんなが当たり前にやっていたことを何年遅れで知って、手に入れて、中にはもうどれだけやっても手に入らないものも多くて、逆にみんなが頑張ってる時に、私は先回りして別のことを頑張らなきゃいけなくて、どうやってもみんなと同じ風に進んではいけないんだなあって、悲しくなってしまって、全部本当に今更なんだけど、悔しいし悲しい。私だけじゃないのも分かってるし恵まれてない人間の中では恵まれてる方なんだろうなとも思うし、私は恵まれてるとも思えるんだけど。これは自業自得なんだけど、みんなが学生頑張ってる時に、私は何をやってたんだろうと思って、何でこんな馬鹿みたいなことを続けなきゃ生きていけないんだろうと嘆いてて、バイト先の仕事出来ない大学生に何度も同じことを教えて、「〇〇ちゃんいつもバイトしてるね、学校サボってるんじゃないの?笑」なんて言われて、アハハって笑って逃げて、何してるんだろう今これは何をしてるんだろうかって思ってた。あの頃に戻ってやり直したいとは思えないんだけど、戻りたい過去なんて持ち合わせていないんだけど、後悔ばっかりだなあって思ってて、後悔はしてるけど、かと言って最善策は無かったなとも思う。アレが最善(善では無いけど)、アレが最適解だったんじゃないかと思ってしまう。未だにどの選択をしても、マトモになれてた気がしない。あれ以上頑張れてた気がしないんだ、私は。そして、そのスタートラインよりもっと先のプラスの地点からのスタートだった人間とかって心から憎たらしくて死んで欲しいと思うんだけど、そういう人間が一丁前に病んで見せて、飲酒運転でパパにもらった車を駄目にした、死にたい、縁切られるかも、とか馬鹿なこと言ってる20歳の子なんかもそうなんだけど、殺してやりたくて、その子がたとえ本気で悩んでいて本気で死にたくて、パパ(笑)に縁を切られたら泣きじゃくって自殺なんてしてしまうかもしれなくても、失うものがあるだけマシじゃないか、親からもらった車を失って、大好きなパパ(笑)を失って、その失ったことを嘆いてる失ったものを最初から持ってない人間も居るんだよ、お前は知らないだろうけど、と思って、惨めで笑える。自分が持ってるものや、今居る環境を当たり前だと思ってる人間が嫌い。自分の当たり前を疑わない人間が嫌い。自分にとっての当たり前が、当たり前じゃない人間も居るということを知りもしないで悩んだり嘆いたりしている人間が嫌いだ。何もかもに疎い人間が、許せなくて殺してやりたい、理不尽でぶん殴ってやりたい。こんな風に劣等感にまみれて、惨めでたまらなくて悔しくて死にたくなるのももう辞めたい。殺して欲しい、死にたくてたまらない、楽になりたいと、口ばっかりで実際に何度も死ねてない自分が、本当に嫌いで気持ち悪いし、自分を辞めたい。本当に未だに、この歳になって、そういう発言をしている人間を一人ずつ殺してってやりたいし、マトモな人間を親に持った人間の口から吐き出される色々を眺めては、何を見せられているんだという気持ちになる。私が全部悪いのは分かってるんだけど。私が私じゃなければ、そんなものを見てこんな気持ちにさせられる事も無かった。私がマトモなら、こんな風に普通を妬む必要も無かったから、私が悪い。見下され、憐れまれると、死にたくなるので、耐えられないので「私は貴女の御両親のような人間を親に持てなかったので、私に貴女の御家族のことを相談してくるのは辞めてほしい。」と言えないので、私が悪い。そんな痛々しくて惨めなモノに成り下がるくらいなら友人なんて要らないとさえ思う。これ以上惨めな思いをしたくない。こうやって、ただ私だけが辛い思いをしている風に書いてるけど、学生時代を頑張った経験のない私は、イジメにあった経験のある子なんかにはとても羨まれるし、それは私も申し訳ない気持ちになることがある。申し訳ないけど、どうしょうもない。そして、そのイジメの被害者だった子に言わせれば、私がクラスに居たらそういう子を虐める側の人間なんだそうだ。否定はしないし、出来ないけど。私みたいな人間は甘やかされて育ってるのが分かるから虐めたくなるんでしょ、なんて言っていたけど、確かにその場に居てそうしなかったと断言出来ない。そのイジメの被害者だったらしい子は、共通の知り合いが居てたまたまその場に居合わせた私に言いがかりを付けてきただけのただの初対面の女の子だったんだけど、なんとなくそういう側の人間なんだろうなと思う。私がじゃなくて、その女の子が。私は経験したことが無いので、虐め云々は何とも言えないけど、この子が虐められるの分かるなあって感じの女の子だったから。いや、この話は蛇足、完全に。そうそう、私が学校サボってバイトしてたのを羨んできた友人と同じくらい、私が誰かを羨んでるのは訳のわからんことを思ってるんだろうなと思っている。大人にならなきゃいけないと思う。大人になるということは、外に出たときだけ大人の擬態をするというのじゃ駄目なんだろうか。私のこの思考は変えられないと思ってるので、せめて今まで通り、全てを表に出さないように務めるだけじゃ駄目だろうか。心の中で思うくらい許してもらえないだろうか。まあ、今ここで吐露してしまっているけれど、ここで吐く言葉は全て独り言なので、許してくれれば嬉しいなと思う。そして今日これは自分と、相談してきた同い年の友人と、不特定多数に向けているただの独りよがりな愚痴なのでこれを読んでくれた誰かに刺さらないでくれたら嬉しいな。私はこれを読んでくれるであろう数少ない大切な人をこんなくだらない独り言のせいで失くしたくはないので。もし読んでくれた人が一人でもいたら本当に心からお詫び申し上げます。ありがとうございます、よりまず先に申し訳無さが来るんだけど、そんな風に思うなら書くなって話なんだろうけど、まあ今更こんなもん読ませたところで私の心象は変わらないと思うのでこれからもよろしくお願いしますね、みんな大好きなので。乱文失礼しました、文調が統一されてないのはりゅうちぇるのせいです。おやすみなさい。