百害あって一利無しを噛み締める

 

 

 

私、人の自傷画像見るの好きでよく自傷タグ徘徊するんだけど、そこに「リスカすると血と一緒に嫌なものが流れていってくれるようでスッキリする(うる覚え)」みたいな文章が添えられてた。それを見て、すえのぶけいこのlifeの歩が自傷した時に同じような心理描写があったのを思い出した。比喩的なものなのか、本当にそういう作用があるのかは分からない。私は自傷しても嫌なものが流れていく感覚にはならない。でも筋膜まで達する程深く切れた時には、確かにスッキリした気がした。その人が自傷する理由は嫌なことを血と共に洗い流したいからなのかなと勝手に思って、その感覚を味わってみたくもなった。そもそも何故自傷するのかなんていうのは人それぞれで、自罰的な何かだったり、破壊衝動を内に抑える為だったり色々あると思う。だからひと括りに構ってちゃんだと言い放たれると、腹が立った。確かに、辛さを分かってほしくて、SOSの意で自傷する人が一定数居るのは事実、でも様々な理由で苦痛を抱えている人がやっと吐き出せた苦しみを自身の身体にぶつけてしまう行為(薄皮を掠める程度の傷を加工してTwitterでひけらかす連中は別。)を軽くあしらわれた気分になった。でも、何故自傷行為をするのかと問われた時に、私なら何と答えるだろうか。βエンドルフィンが〜セロトニンが〜みたいな理屈っぽい答えなら幾らでも出てくるだろう。単に脳の分泌液のせいで繰り返してしまう、理屈は分かるけど私は何故自傷行為を繰り返すのか、という問いに対してそう答えるのは、何か違う気がした。人間は動物と違って理性があるから、人間らしい生活を送れてると思うし、全員が脳の分泌液やその感覚?性能?なんかに従って行動してたら国も社会も3秒で崩壊しそうだ。人は何故自傷行為をするのか、では無く私という人間が何故自傷行為をするのかを考えたかったのでここに書き留めておこうと思う。別に読んでる人に何故自傷行為をするのか問うてる訳でも無いし、否定も肯定もするつもりは無い。ただ私が自傷について考え模索する様を読み流して貰えれば良いと思う。

 

まず私の身体にある傷(白く凹んでる傷とかは省略して赤く凸してるケロイドのみ)を、不本意に加えられた傷も含めて数えてみた(暇か)。左腕25右腕43左脚8右脚45腹部1首4。ここまでが自らつけた傷。おでこ1顎1肩1腹部1手の甲1、根性焼きが左腕1手の甲1背中は肩甲骨から腰上まで埋め尽くす程で数えてないけどこれはつけられた傷。実際数にして見ても、いまいち多いのか少ないのか分からないけど、改めて傷を見ると気持ち悪いなと思う、本当に。初めて自傷した時はまだ、後先考えられない馬鹿だと思って後悔もしたし、自傷に逃げた自分に嫌悪感すら抱いた。何より自ら傷付けずとも元から醜い傷だらけの身体なのに、と憤ったりもした。当時は自分のした事に異常性を感じることができたし、それが嫌でもう切れないようにと、左腕のケロイドの上から墨を被せた。ただ一度自傷してからは堰を切ったみたいに苛立ちが溢れだすようになって、それを解消する為に行う自傷の何とも言えない開放感に囚われた。手段の目的化とでも言うのだろうか、自傷行為の言い訳の為に自らを追い込んで仕事にのめり込んでた気もする。とにかく今見ても、腕はイカ焼き通り越して洗濯板みたいだし、背中の火傷跡に関しては私自身も不快感を覚える程気持ちが悪いし汚いしで本当に嫌になる。見た人が全員不快になるだろう(集合体恐怖症の人は直視出来ない)。こんな身体で風俗だの結婚だのよくもまあしようと思ったなと思う。抱く方も抱かれる方も良い気はしないだろうに。こんな身体早く燃やしてしまいたいと思うけど、煙草を皮膚で揉み消す程度の小さな火傷さえ痛くて怖いのに全身を燃やされるなんてどんな痛みだろうと一人想像しては暗い気持ちになるので、焼身自殺は私には無理だろうなと考えている。

 

私が腕を切る理由を考えた時に、どうしても避けられない欠点がある。こうしてブログやTwitterで延々と不幸自慢を垂れ流す私を知っている人にそれを言うと、そんな筈はない嘘をつくなと言われそうだが、冗談抜きで私は現実世界で人に弱い部分を知られることが堪らなく嫌で、それを恥ずかしいと思ってる節がある。軽いところで言えば、偏頭痛で辛い時に隣でお笑い番組見てる旦那に、頭に響くから音量下げてくれと言えず無言で2階にあがるからなんとも感じ悪い風になってしまう。もっと言えば、毎日しんどくて苦しい辛い死にたいと思ってても、主治医にそれを伝えるのが気恥ずかしくて、普通ですとか意味の分からない回答をしてしまってた(さすがに効かない薬に金を払うのは馬鹿馬鹿しいので、紙に書いて渡すようにした)。私の頭の中は、生きたくないとか死にたいとか殺してやる、許せないとか辛い、苦しいとか、そんなネガティブで気持ち悪い思考が渦巻いてるのに、どうしても、それを身近な人間にすら吐き出せないのだ。それは昔から変わらなくて、たぶん身の丈に合わないチンケなプライドが邪魔してるせいだと思う。親しい人間にも知り合いレベルの人間にも、等しく、いつもヘラヘラしてて何も考えてなさそうな明るい私で居たがる自分が居る。人に弱みを見せたくないなんてレベルじゃなく、ネガティブな感情を言語化することを異常なまでに嫌悪する性質があって、それを捨てきれない。それなのに、「お前は毎日楽しそうで良いな」なんて言われた日には腸が煮えくり返るかと思うから、矛盾のオンパレードで自分がどうなったら満足するのか本当に分からない。どう考えてもズタボロなメンタルに似つかわしく無い変なプライドがあって、それが折れた時に自分がどうなるのか考えただけで恐ろしくて、気持ちが悪い程にそのプライドを守ることに徹してしまう。私の中でパンパンに膨張した恨み辛みを口から吐き出したくなるが、私自身がそれを許さないのだ。本当に醜くて滑稽だと思う。不可抗力で見られたことを抜かせば、結婚にまで至った旦那にすら泣き顔を素直に見せたことも無い。誰の前でも私は強く居たくて、本来の自分からかけ離れた姿に見られることに意義があると思ってた。でもそんなのはハリボテだし、いつか皺寄せが来るのも分かってた。その結果がこの醜い傷だ。旦那からしてみれば、腕から血を流しながらヘラヘラして平気平気なんて抜かす私を見て痛々しいと思ったことだろう。誰から見ても常軌を逸してるのに、それでも平静を装うことにもはや意味は無い。馬鹿げてるし、くだらない。こうして文字に書き表して幾分かは吐き出せてるものの、やっぱり、言語化してそれを誰かに伝えることで発散するのが良いんだろうと思う。でもそれを許さない自分が居たから今こんな傷だらけの身体がある。自分にぶつけるには遠慮しなくて良いし、それで死ねたらラッキーだし、良い事づくしだと思ってた。自傷なんて本来許されない恥ずべき行為だと理解させられる機会があって、その逃げ場も遠慮無しにぶつけて良い場所では無くなった。今は一人で泣き喚いて自分に当たり散らすしか能の無い私が、いつか身近な人にだけでも弱い自分を曝け出せる日が来れば良いのかなと思う。でもそんな日が来るのが恐ろしいとも思う。色々考えた末、弱く醜い自分を誰かに知られる日が来るくらいならその前に死んでしまって永遠に誰にも知られないままの方がマシだと思うくらいに、まだ今は、自分の中身を吐露することが嫌で堪らない。

 

 私が自傷行為を本当に恥ずべき行為だと自覚して、自重しようと思えた(だけで自重出来てない)のは、真夜中に行った救急病院の看護師さんのお陰だと思う。その頃は、酔ってラリって4階から飛び降りたが下の倉庫に受け止められて助かるとかいう滅茶苦茶マヌケな珍行動起こしてたりしてとにかく荒れてた印象なんだけど、その看護師さんと対面した日も例に漏れず酔ってラリってた。何かの勢いで腹に包丁突き立てて(痛くて死ぬまで刺せなかったヘタレ)それからは記憶が無いけどどうやら救急病院に連れてかれて、腹の傷をどうにかして貰ったらしい。普段病院嫌いで、精神科以外の病院は行かないので、そこが普通の病院だということを理解してなかった。腹部の痛みで起きていっとき経って、少し我に帰った時に看護師さんに呼ばれて腕の処置をして貰いに行った。その部屋にはいってすぐ、ボケっとした頭で袖を捲って腕を突き出した。看護師さんは目を逸して顔を歪めて、そこだけ鮮明に覚えてる。女性の若い看護師さんだった。腕の傷は血で固まってたけどそれを洗い流すと肉が抉れてて、どう切ったらこうなるんだって感じになってた。普段は自傷の傷なんて処置しないんだろうなとか、見慣れないだろうに気持ち悪いもの見せてしまって申し訳無いなとか、退院するまでの間ベッドの上で色々考えてた。自分で切ったのに人に不快感を与えてまで処置して貰って、ただただ申し訳無いし恥ずかしかった。こんなもの人に見せるもんじゃないし、見せられる方もいい迷惑だ。こんなことでしか憤りを表せない自分が嫌だった。退院して次の日からは別の病院に、ガーゼと包帯を変えるのと傷の消毒をして貰いに行かなきゃいけないとの事だった。正直消毒やガーゼ交換なんて自分で出来るし行きたくなかった。旦那に懇願されて、渋々その病院に行ったら、そこでも「なんでここまでするかね」と腹部の傷含め処置して貰いながら呆れられた。本当にその時間が苦痛で自業自得の癖に変に苛立って、帰って1人になって包帯とってまた切った(この頃の行動は今思い返しても本当に呆れ返るし完全に頭がおかしいなと思う)。衝動的に腕を切って、我に返ってアタフタしてるところに旦那が帰ってきて切ったことを怒られて、病院に行きたくないと告げても無駄で、また「普通包帯取ってまで切るかね」と言われて、医者は正論しか言ってないのに、医者にも苛立ちを覚えたし何より衝動に任せて行動する自分が心底恥ずかしかった。

 

 

そういう事があってからも学習能力皆無な私は、順調に傷を増やしてた。それでも旦那以外の人間の目に傷を触れさせないように過ごしてたんだけど最近誰かのRTで、普段の生活で自傷跡を隠さず出歩くか隠してるかのアンケートが回ってきた。当然私は隠してる方にいれたんだけど、普段自傷跡をオープンにしてる人の割合が思ったより多くて驚いた。ここでまた、lifeの歩の話に戻るんだけど、自傷してしまった歩がTVで「現代の心の闇リストカットをする人々(うる覚え)」みたいな番組を見て私のことだ…と考えてる時に、母親がTVに映るケロイドだらけの腕を見て「気持ち悪っ」と言ってTVを消す描写がある。それから歩は自傷行為をしてることが周囲にバレたらどうしようと不安に駆られるけど、未來という救世主が現れて「気持ち悪くないよ、それだけ辛かったんでしょ」みたいな台詞に救われる。これを読んでた当時の私は、学校生活のところはあまり入り込めなくて、でも自傷行為を繰り返す自分と葛藤する歩に心を寄せてた気がする。今読み返してみると、母親の反応は正常なものに思えた。ほとんどの人が、気持ち悪いとまではいかずとも、見ればなんとなく不快感を覚えるだろうし、それは間違った感覚では無く至極真っ当な感覚だと思った。未來の「気持ち悪くないよ、それだけ辛かったんでしょ」という言葉は所詮フィクションの世界でのみ違和感無く馴染むだけであって、現実で自分に向けられるそういう類いの言葉があったとしても、それは上辺だけの言葉だと弁えてる。自傷に理解の無い周囲を非難する文章をTwitter上でよく見かける。生きづらさを自傷で体現することしか出来ないでいる自分を責めることはあっても、その不満を周囲に撒き散らすのはお門違いだと思った。たとえ自傷癖をカミングアウトしたとして、周囲がそれを理解するかどうかは本人達に委ねるしか無いしもっと言えばカミングアウトされた側が感性によって判断するもので、それは人にどうこう言われて捻じ曲げられるものでは無い。当人からしたら理解されるのが一番嬉しいだろうし、気持ち悪がられたら悲しいのだろう。それでも、私やその他の人間に好き嫌いがあるように、私が蜘蛛や蛙を気持ち悪いと思うように、自傷行為を真っ向から否定して、見れば不快になる人間は一定数存在するのが現実だ。自傷跡を隠さず生活している人間は、その場で周囲の人間から理解を得た気で居るのだろう。本当に心の底から理解してくれていて、これまで以上に自分に親身になってくれるとでも思ってるのだろうか、とんだ笑い者だ。電脳世界での狭いコミュニティの中と現実世界との区別がついてないのか、それなら普段からあの薄ら寒いポエムをも言語化してる人間もいるのかと思うと笑える。信用のおける人間になら、自傷癖をカミングアウトすること自体は何ら問題無いと思う。ただそれを普段の生活で隠す事すらしない人間の神経を疑う。カミングアウトされた側の人間が自傷行為をしている事実は受け止めたとしても、それを日常的に視界に入れることを受け入れられるかどうかは完全に別問題だ。自傷の程度によるけど、傷跡を見て少しでも不快感を覚える人間が居る限り隠す努力はしなければならないし、それをしない人間は家から出るなと言いたい。ある意味tattooを意図して見せびらかして出歩く人間よりもたちが悪い。tattooを見せて出歩く人間はtattooを完全にアートとして見てるからこそ、隠さず堂々としてるのだろうと思う(それでも日本に居るなら、少なからず不快だとか恐怖だとかを感じる人間が居るし隠すべきかなと思う)。それに比べ、自傷跡を隠しもせず居る人間はそれを悪びれる様子も無く、「ジロジロ見られた」なんてまるで周囲の人間が悪いかのように言う馬鹿も居る。自傷行為は辛かった証、頑張った証、そう自分を甘やかすのも大いに結構。でもその歪んだ認識を周りに強要するのはいくらなんでも馬鹿げてる。辛かったから自傷してる自分をみんなは受け入れてあげるべきだとか、どこの世界の常識だ。薄ら寒いポエムで同情を煽る作戦は所詮ネットの中の狭いコミュニティでしか通用しない。それを理解出来ない人間は、ネットの世界から出てこないで欲しい。自分勝手に腕脚切り刻んでる人間のせいで周囲がストレスを被る羽目になるのは理不尽極まりない。そういう人間のせいで、最低限の身だしなみとして傷を隠してる人間が余計に非難の目で見られてると思うと、悲しくもなる。ここまで読んだ上で「私は自傷跡を隠す気も無いしこれからも時と場所弁えず一生ひけらかすしそれでも周囲は優しい人ばかりだから理解してくれてる」と考えるような勘違い馬鹿は、周囲の気遣いの上で成り立ってるその環境で甘え腐って、理解してくれた心優しい人間の気持ちをも無下にしていればいい。日常的に傷を晒してそれを視界に入れることを周囲に強いるなら、社会に出てからもいつ何時もそうして居て欲しい。恥をかこうが非難されようが、貴方の中ではそれを非難し偏見の目を向ける人間が悪なのだから。とか意地悪を言いたくなるくらいにちょっと本気で引いてる。自傷を理解されたいという思いは、自傷してる人間なら少なからず持ってるものなんだろう。でもそれを周囲に理解されたいと駄々をこねる様は見てて滑稽だし、ましてそれを日常で晒しても許されたいなんてのは烏滸がましいと感じる。誰しもが理解されたいこと、理解できないこと、それぞれに折り合いを付けて初めて人と関わっていけるのだと思うから、自傷行為が世間的に認められない理由を理解した上でうまく付き合っていけたら良いなと思う。Twitter見てる限りまだ自分みたいに人生ぶん投げてる人間だけじゃ無いと分かるからこそ、傷が障害になってこれから経験する色んなことを制限されるなんて悲しいし、自傷してしまう自分を責めて一層暗いところに落ちてしまう人が居るのも悲しい。自傷行為をする自分を誇らしい風に言う馬鹿とか誘発させる言動をする人間に惑わされず、なるべく他の方法で行き場のない辛さだったり憤りだったりを処理していけるようになれば良いのになと思う。

 

 

最初に問題提起した私が自傷する理由、ボケた脳みそを幾ら叩き起こしても、自分の感情をコントロール出来ない幼稚な人間であったり、それをぶつける先が自分に限定されてて処理の仕方を自傷以外に見つけられてないってことだけしか出てこなくて、何だかんだ御託並べて置きながら結局脳内の分泌液に従って行動するような愚直な人間だからって結果に結びついたわけなんだけど。そもそもこんな誰もが予想ついてたであろう結果しか出てこない考察に意味はあるのかとか、それだけの事を7000文字以上使わなきゃ書き表せないお粗末な文章力の癖にブログなんか書くなよとか、色々ツッコミが入りそうでワクワクしてる。私は何故か文章書くといつも調子に乗って上から目線になってる自覚はあって、見下してる人間のことを書いてる部分だし別に良いかなとか開き直ってるし、それでも良い人間だけが読んでて欲しいなと思う。このブログは完全自己満だし、1分で解決しそうな問題をこれだけ文字数使って長ったらしく書く馬鹿も居るぜってことで、これ見てる人が、こんな馬鹿も居るから自分はまだ大丈夫だと自信を取り戻すなり読んでてクソつまんねーな死ねカスとか苛立つなりしてくれればそれだけで私はこれ書いて良かったと思うからさ。途中偉そうに自傷見せびらかして出歩くなとか言ったけど、誰にどう見られても構わんしそれで迷惑被る人間がいても知ったことか!みたいな人が居てもそれはそれで全然良いと思う、何が正解とかたぶん無いしね。反対意見とか単純にお前がムカつくみたいな奴とかも全員Twitterに集合でお願いします。毎度の事ながら文体しっちゃかめっちゃかで語彙力も構成力も起承転結も無く日本語不自由で読みにくくて無駄に長く感じる文章しか書けなくて申し訳無い。6000文字までいった辺りで一回全部消去しちゃって思い出せる部分が斑なまま無理矢理繋げたからいつもに増して酷い出来だけど、消えた時点でやる気0になってまたここまで書けたことが私にしては偉いから褒めてくれ。ここまで読んでくれた人、居たらありがとう。