下水道静注記念日

 

ブロン漬けの日々を送っていたら脳みそが蝸牛の迷子に行き合ってしまった。思考がまとまらない、同じところを行ったり来たりして「目が滑る」じゃなくて「脳が滑る」状態になってる。分かりやすい表現が全く浮かばないんだけど例えば本読んでるとき、今どの行を読んでたんだっけ次はどの行を読めば良いんだっけってなるやつ。あと数字の羅列を覚えるときに6桁あたりから進めないというかどこまで数えたかわからなくなるアレ。アレが起こってる。今は明日のアラームかけるのに○時に出勤だから○時に家を出て化粧に○時間かかるから○時に起きなきゃいけないなってこう順番に考えていかなきゃいけないけどさっきは○時に家を出て(#<▽≠<#>/[ⓜ[▽⚀‥▽>≠…#)えっと○時に家を出るから(ⓜ[[>>♡'✧“”ⓜ≠…>)えっと〜。って感じで途中で脳みそに雑音が入り込んできて、そこから先に辿りつけなくなってしまった。同じところをグルグルぐるぐるしてて結局まだアラーム仕掛けてない。これを読んでる人は既に分かってると思うんだけどね、準備にかかる時間なんて毎日変わらないんだから出勤時間から、通勤時間+準備にかかる時間を引けば良いだけのことなんだよ、本当は。でもこれが今というか最近出来なくなってきてる。このノロノロ回りくどい計算が終わってから、ようやく気付く。いやいや何でそんなややこしく考えてんのや私!って自分にツッコむ。何でかな、元から悪い頭がさらに悪くなったというかブロンのせいというか酒で脳みそ溶けてるというか。言い訳は沢山出てくるけど、とにかく何故かこの回りくどい考え方というか考え方の通り道、思考回路か、それが複雑な回り道しか通れなくなってしまっている。分かりやすい例でこのアラームの時間の逆算を出したんだけど、これは例えで、バイト中も周りに気付かれない程度に、というか周りが気付くより先に自分でなんとか防げる程度の凡ミスが多くなってきている。うん、塵も積もれば山となるというように、凡ミスも積もれば大きいクレームに繋がりかねないので、気を付けていきたいところなんですが。なんですが、この地獄のスケジュールのままじゃ脳みその回復にあてる時間がとれない。困るな〜困る。トイレのトラブル8000円でお馴染みのクラシアンさん、私の脳のトラブルも8000円で解決してくれないだろうか。このままじゃ全然暮らし安心出来ないです。脳みそを1回全溶かしして、回路を組み直したりあれこれメンテナンスしなきゃならんのだけどその時間が今とれない。頭の回転が遅くなってるってことはたぶんアレ。何かを伝達する回路の、直通の回路が詰まってるんだ。そう、ジャムってるっていうヤツです。だからややこしく回りくどく遠回りして考えるけど私の脳みそは私に似て方向音痴なので、途中でよそ見をしてしまうというかノイズが入ってきてしまうのでまずそれで現在地を忘れて、次の曲がり角が分からなくなって、最終的に自分が何処へ向かっていたのか、何を考えていたのかを忘れてしまう。結局このブログを書き始めて僅か数分で、もう何を書こうとしていたか忘れてしまっている。怖いな〜怖い。ブロンのせいにすることも、焼酎のスト缶割りのせいにすることも、出来ませんが。私のせいでも無いよねって自分をだまし騙しやってきてこれからもやっていきます。こうしてダラダラと文句を垂れてる暇はあるのに洗濯や料理をする暇は無いのです。何故か分からないけど、こういうダラダラした文章をつらつらと書いていくのは物凄く楽チンなんですよね。不思議だ。本当に、私、爪を噛む癖が治らないんですけど、最近マジでヤバい。何も考えずに爪噛んでたら3時間経ってた。洗い物しようと思って、しなきゃいけないなと思って、立とうとして、立つぞと思って爪を噛みだしたら3時間ひたすら爪噛んでた。ウケる。まず立とうと思って立てない最近。立とうと思って、立つまでに1時間くらいかかる。なんだろうね、立たなきゃいけないし、起きなきゃいけないんだけど、立てないし起きれないし働けないし歩けないし動けないし。もちろん実際にはちゃんと立って歩いてバイトに行って働いて歩いて帰ってきてシャワー浴びて着替えて化粧してまた夜のバイトに行ってる。でも無理。やってるし、やれてるけど無理。1つの動作を起こすたびに毎回本当に無理だって思いながら仕方なく動いて、やっていってる。ホス狂風俗嬢が、売掛け無いと出勤出来ないあの自分を追い詰めていかなきゃ無理な感じと似てる、たぶん。とにかく全部が無理!って感じです。休みが遠い。そして休みは夜、ガルバで働くので実質休み無いです。キツイなあ、しんどいなあと思うけど、思うだけで終わる。だって弱音吐けないんだもの、だってこんな程度で音を上げる人間だと思われたくないんだもの、だって私はもっと頑張れてたはずもの、とどうにか自分を奮い立たせています、膝が笑ってる。そんなに嫌なら辞めろよと言われて、ごもっともなんですが、私の嫌いなデモデモダッテちゃんになりつつあります。いや、なってしまっている。本当に本当のところを言うと、耐えられないのに気付いているんだけど、このまま無理!ってなって死ねたら良いなあと思ってるし、破滅願望の亜種なんだと思う、これは。仕事は自傷の一種です!とかそんなバカなことは言うつもり無いけどね。こんな程度で、私は折れないし、ハードスケジュールどんと来いと思ってる私がいるのも事実。それ以上に無理ムリむり〜つってピーピー泣きわめいてる私もちゃんと存在してます。涙は出ないけど。泣きそうな顔でいつも居るし、涙が溢れるのは悔しいので、目をかっぴらいて気合で涙を蒸発させてる。結局、ずーっと泣くの一歩手前で居る。駄目だなあって自分で分かってるけど、働くことを強要されてるわけでも無いので、意味のない戦いを続けていきます。そう、本当は前回の続きを書きたいと思ってたんだけど今たぶん書けないのでこんな感じで何も考えずにダラダラと打ち込む作業の日しました。ガルバも始めたので、結局夜に戻ってきてしまったやんちゃん編も早く書きたいと思ってるので、数少ない読者さん達は楽しみにしててくれ。あとそれと、先月はブロンに45000円かかってしまってるので、今月は抑えていこうと思っている、思ってはいるけど現在18日で既に4万弱。だって飲まなきゃ動けないし、仕方無い、私の身体は切り捨てることにした。とにかくやっていければ良い。28日に左腕の入れ墨をグレードアップするから、それを糧に頑張ろうと思う。うん、頑張っていきます。頑張って頑張って、早く死ねれば良いと心から思っている。生きる為でなく死ぬ為に働いていきたい。また元気があるときに、ゆっくり書きます。おやすみなさい

誰かがくしゃみをするたびに西川の毛根が死ねば良いのにVol.01

以前の私は、なんだかんだ言いながら働くことを生き甲斐としていたタイプの人間であった。なんというか、学も教養も無い私がどうにかこうにか生き抜こうとした結果微妙に特化したコミュ力というか媚び力というかそういうものを活かせて、賞賛を得る唯一の手段がそれだった。「認められたい」「褒められたい」そういう承認欲求の権化であると言っても過言では無いメンヘラ達。私も例に漏れずそういう欲求が強く、働くということは、金銭を得ることは勿論のこと、承認欲求を健全に満たす為の手段でもあったのだ。

 

 

アルバイト側と社員側どちらも経験した私から言わせていただくと、どちらもそれぞれ違った苦労があるので正社員、派遣、アルバイトなどの雇用形態の差でマウントを取るのはもう辞めようぜと思うし、何でもかんでも多様化してきてる世の中だから働き方も多様化していけばいいと思ってて、まあ多様化していけばいいというか実際のところは正社員雇用の枠が減ってしまって派遣やアルバイトで食い繋ぐしか無くなってる人が多いんだろうが、それも含めて色々な働き方が許されてみんなが豊かになれば良いなと思う。基本的に歪んだ価値観を持った歪んだ人間である私が唯一全面的に応援していて、みんなが人間らしく居られれば良いのにと心から願っているのが、仕事を頑張る全ての人たちだ。(ここでの仕事、というのはアルバイトも派遣も日雇いも全て含めての意味で、フリーターがバイトのことを仕事と言うと「仕事じゃなくてバイトだろ」とツッコむマンがたまに現れるので、それを寄せ付けない為に明記させて頂いた。私もバイトのことを仕事とは言わないけどいちいちそれにツッコむマンはちょっと面倒だと感じる。)今日は「無事7連勤を終えたことでの安堵」と「久々の休みだったはずの明日が8連勤目という地獄に変わったことで生じたストレス」との温度差に脳も身体も追いつかないので、黙々とダラダラと書いていくことにする。私の平穏が西川に脅かされていることについて、今のバイト先でのキャラブレが激しいことについて、それともし時間があれば今までのバイト遍歴についても触れられれば良いなと思う。むしろ飲食の社員時代について書かなければ、私の仕事に対する価値観の根幹にあるものを明かさなければ、今回の記事はあまり意味のあるものにならないんじゃないかと思っている。それについて書いたところで読みごたえがあるものになるのかどうかは読み手の感性に委ねるしか無いし、どちらにせよ時間が許す範囲でしか書けないのだけど、出来ればブラック企業編(サービス業Ver.)も包み隠さずお届けしたい。

 

本当は最近のバイトと今までのバイトとブラック店長時代のことを書きたかったんですが、今のバイト先について書いてる内にどんどん話が逸れて行って、これ西川の事まで書いたら原稿用紙5枚分くらいになってしまうな!ってなったので、今日は今のバイト先でのことだけ書いて一区切りにすることにしました。西川のこと、ブラック店長のこと、飲み屋時代のことは、また次の機会に書きます。もし楽しみにしてくれてた方が居ましたらお手数ですが西川という男についてのクレームを私のバイト先の本社に送ってください。西川が居なくなればたぶん私のシフトと脳みそが正常に戻ります。それとバーの件はフェイク入れてます、流石に身バレ怖いのでおでんバーでは無いけど、〇〇バーではあるので良いかなと思って。なので都○町におでんバーは実在しません、たぶん。

 

まずは最近の西川、否、最近始めたバイトについて書いていこうと思う。4月の頭、自称慎重派の私はその企業について特に何も調べず外資系のサービス業という少なすぎる事前知識だけを持って面接に向かった。私はそういう面ではかなり恵まれていて今まで職探し、というかアルバイト探しに苦労した事が無い。知り合いは掃いて捨てる程居る(友人は少ない)ような人間だし、基本的に深刻な人材不足である企業が多い田舎に住んでるのもあって、人手が足りなくて困ってるからうちで働いてくれor誰か居たら紹介してくれ、といった話が日頃から都合良く舞い込んでくるのだった。だがここに引っ越してきてこれまで培ってきた人脈(笑)という名のコネは全滅、逆に旦那の知り合いが経営してるところでなんて考えただけでも面倒くさすぎて絶対に働きたくない、そう思った私はローソン以来2度目となる、コネ無し入店を試みたのである。これまでコネ入社ならぬコネ入店ばかりだった私は、面接というものをキチンとした形で受けることは初めての経験に近かった。それなのに何故か下調べを怠るという杜撰さがアダとなり、面接の時点で既に全てのやる気を削がれるようなバイト先と巡り合うのであった。これまで経営者からの紹介という現場の人間からしたら扱いづらいことこの上ないバイトとして形だけの面接をすることが稀にあったが、基本的に電話か飲みの席かで軽い希望勤務時間を決めて即入店という感じで面接というものに不慣れだった私は、もちろんカフェインとブロンましましで悪魔たちの巣窟へ向かった。緊張で動悸が止まらないんだと思っていたが今思えばアレは間違いなくエスモカを1箱も飲んだからだろう。毎度のごとく、呆れ返るほどバカだ。店についた頃には案の定吐き気に襲われ面接どころか煙草を吸うのも億劫だった。いざ面接が始まると驚愕の事実を突きつけられた。「まずはこれを記入して貰っていいかな?」そう言って渡されたのは、履歴書なんかよりはるかに記入項目の多い5枚の書類だった。ボールペンと証明写真、メモ用紙だけ持参すれば良いとのことだったので、外資系なのにゆるいんだなあ、ここにしようどうせパートだし、なんて軽いノリで来たつもりが、履歴書不要・学歴不問という中卒の為だけにあるような文字列にまんまと嵌められたというわけだ。なんてザマだ、これだから中卒は嫌なんだ(中卒関係無いです全ての中卒労働者にお詫び申し上げます)。しかも店内は外観から予想していた広さの5倍くらいはある、チラッと見ただけで従業員らしき人が10人以上も居た。キャッシャーだけで7人も居た。完全に騙された、そう思った瞬間潔く帰れば良かったのだと今更後悔している。今回はブランクが長い上にやり甲斐を求めない気楽なバイト探しだった筈なのに、何故こんなことに。そもそも学歴不問というのはたぶん高卒の為に用意された言葉であって中卒歓迎という意味では無い、たぶんコイツ(採用担当者)も学歴不問の項目を見て中卒がノコノコやって来るとは思っていない、今言えば帰らせて貰えるんじゃないだろうか、なんて考えながら私は項目を割と丁寧に埋めていく。チキンなので辞退なんて出来ない、面接の途中で帰るなんて以ての外だ。結局私は全ての項目を馬鹿正直に、高校を半年足らずで退学したことも含めて書き終えてしまった。採用担当者(後のディレクター)は頭がいいヤクザ(インテリヤクザとはまた別)みたいな顔の細身の中年男性で、終始笑顔だが何処か胡散臭い。書き終えて5枚の書類を採用担当者(以下、「輩D」と称する)に渡すと、じっくり目を通させてねと伝えられ、確かにじっくりと私の恥ずかしい学歴・職歴を読んでいた。そして今までのバイトや社員の経験について少し雑談を挟んで、新たに2枚の書類を渡され「これも一応書いといて、適当でも受かるから」なんて言われて視線を落とすとそれはインタビューシートだった。私がブラック店長をやるにあたって最初に手渡されたものとほぼ同じものだった。飲食業か、小売販売業かの違いはあったが、他店と競い合うあまり過度なサービスを求められる現代のサービス業の“業”を圧力鍋で煮詰めた様なインタビューシートがそこに在った。しかも輩Dは「適当でも受かるから」と言った。確かにそう言い放った。それは私の心証が良かったからインタビューシートでの回答が悪いくらいでは落ちないという事なのか、人が足りないから誰でも良い、最悪中卒でも構わんみたいな事なのか、どちらにせよ、いやたぶん後者だから尚の事私の心証は害されたぞ!と思いながら、インタビューシートに模範解答を記入し、憎き輩Dにそれを返した。それからまた少し雑談を挟んで、これまでの職歴で得た接客業の心得の様なものについて少し話し、飲食業と小売販売業の接客の違いや、客層の違いについても少し教えて貰った。客層は今までとは180度ガラッと変わり、家族連れや主婦が多いことを聞いてますます憂鬱になった。最後に制服について尋ねると、半袖の中に長袖を着るのは駄目らしいので、常時長袖のシャツを着用することになった。店内はクソ暑いのに、これはイジメだろうか(違う)。そしてアトピーがあるので腕を出したくないという嘘の言い訳を考えてたにも関わらず、「墨(刺青)入ってるんでしょ?」と先に聞かれてしまったので、変なとこすげー厳しいのに墨入ってて良いのかよ!と思いながら、「はい、七分丈で隠れるくらいではあるんですけど…」と答えた。もちろん刺青は七分丈で隠れないし自傷跡は九分丈だ。そして面接が終わり、従業員用出入り口に案内される途中輩Dは「九割型受かると思うから(胡散臭い笑顔)」と言い放った。帰り道、私は「九割型受かるってなんだよ。残りの一割は何なんだよ。前科でも調べられんのかよ、怖えよ…」なんて考えながら歩いた。後日、無事合格の知らせが来て私はパートタイマーとして働くことになる。そして輩Dが、酒乱Ver.の私がたまに行く知り合いのバーの常連だったことを知って慌てふためくのだった。

 

 

 

私は基本的に、ヘラヘラと何も考えてなさそうな今時の若者を演じてこれまで生きてきて、だからこそ働いてて何かしらの評価を得る時に「最初見た感じでは今時の若いコって感じだったけど意外としっかりしてるのね」というような、「昔やんちゃだった奴が更生して褒められるヤツ」に類似した効果を十分に感じていたわけだが、今回は方向転換、というか取り繕うことがもう面倒だったので割と素に近いままの「無口で付き合いの悪いピアスの老けてる人」で特攻した。とりあえずやる事やって容量良けりゃいじめられるなんて事は無いだろうと踏んでいたので、新人歓迎ムードにも関わらず、無口で感じ悪い人を貫いていた。何が気に入らないって、各売り場で行われる集礼の場で私が年齢を明かすと、子供いないのに何でその歳で結婚したの?子供まだ欲しくないの?え!?20歳で結婚したの?え!?20歳なの!?ウッソ〜〜〜若〜い!!みたいなノリでとにかく質問攻めにあって、初っ端から客をさばくよりまず先に従業員からの質問をさばく業務で疲弊したことだ。それと退勤して(売り場が違うのでロッカールームでしか会わない)初対面の30代のパートの人達に、同年代だよね?アラサー少ないから入ってきて嬉しい、あまり一緒に仕事すること無いかもしれないけど仲良くしようねと言われた。ツッコむ気力はもう無い。コイツら、私が客で来て何かしらの案内を頼むとき、「30代くらいの女性のお客様が〇〇レジでお待ちです、ご案内お願いします」みたいにあの割と客にも丸聞こえのインカムで言ってしまうんじゃないだろうか、心配だ。肝心の通常業務はというと、50枚くらいのクソ分厚いマニュアルをペラ読みして(家で覚えなきゃいけないらしいふざけるな)レジの基本操作を覚えて終わった。それ自体は割と滞り無く終わった。だが、事件が起こった。輩Dとマンツーマンで作業している時に、話の流れで都町のバーの話になった。私が県外から来たばかりだと聞くと、輩Dは飲み屋街のおすすめの店をやたら多く教えてくれた(迷惑)。とは言っても、私はレジ操作や重機の名称を覚えることに脳みそを持って行かれてたので適当に相槌を打つ程度だった。だが、聞いてるとどうやら輩Dは料亭の息子がやってるおでんバーを私に勧めている。レジ操作を覚えることに徹していた私の脳みそが、輩Dの口から語られるおでんバーに引き戻される。料亭の息子がやってるおでんバーは私も知っている。そして料亭の息子がやってるおでんバーが大分市内にいくつもあるものなのだろうか、大分は椎茸やかぼす、関さばだけでなく、料亭の息子がやってるおでんバーも名産なのだろうか?そんな訳がない。おでんバーが名産なんてそんな地域は無い。恐る恐る輩Dに尋ねる。「そのおでんバーって、もしかして都○町ですか?」答えはYESだった。愕然とした。そのおでんバーには私もよく行く。そしてそこのオーナーは私の酒乱Ver.も目撃している、何度か居酒屋に連れて行って貰ったくらいの知り合いだ。後々バレるよりは良いと思い、私もそのバーによく行くことを明かすと、輩Dは「もしかしてよく〇〇(オーナー)とご飯食べてから来てた子って〇〇(私)さん?俺何度か見たことある気がするわ。」と笑った。何故。よりによって何故コイツが、居酒屋に行ったそのままの足でおでんバーに行ったところを偶然他人のお前が見てるんだよ。おかしい、変な男過ぎる、輩D。そんな感じで、別に広い店でも無いおでんバーの常連同士だった私とおでんDは、そのおでんバーの話で割と盛り上がってしまった。共通の知り合いが出来てしまって、私はコイツにだけは無口な取っ付き難いキャラが通じないことを悟った。数日後、帰るときに輩Dに呼び止められて、○日は空いてるかと聞かれた。シフトの相談だと思ったので空いてますと答えると、たかが短期(半年)のバイトの私の歓迎会をやるらしい。お目出度い連中だ、私はここでは無口な取っ付き難いキャラで通す気しか無いぞ!この間おでんバーの話題でお前と一緒に盛り上がった私はもう居ない。飲みの席で打ち解けるなんて以ての外だ。そう思いながら「え、わざわざ開いてくれるんですか?嬉しいです〜飲み会好きなんで、楽しみにしてます〜ワハハ」と答えた。もう輩Dにあのキャラが通用しないことは分かっていた。もしコイツとおでんバーで会って気不味い雰囲気にでもなってしまったら、私のプライベートまでおかしなことになる。それだけは避けたかった。歓迎会なんて、私の知らないところで私の知らない間に勝手に開催されてしまえば良いのにと思った。

 

 

この後、既に崩れかけているように思えた私の愛想悪い無口キャラは、初めての試みにしては割と順調に空気をぶち壊していく事になる。

 

記念すべき初の試みは、昼の11時-夜の9時の、ニ勤で言うところの遅番の日だった。ロッカールームとブレイクルーム(英語わからんくて休憩室でええやろと心底思った)は繋がっていて、私が着替えを終えてロッカールームから出ると、先に上がったはずのパートとバイトの人達がブレイクルームで駄弁ってた。さっき質問攻めして来たバイトとパートが「お疲れ様〜初出勤どうだった?やっていけそう?」と声を掛けてきた。20年間生きてきて染み付いてしまったヘラヘラしたキャラが「なんかみなさん優しくて客層も良さそうだし働きやすそうでホッとしました(笑)覚えることが多いのでそこが心配ですけどねアハハ」って感じのことを言いそうになったが、グッと堪えた。「今までの自分を捨て、生まれ変わった私はバカみたいに愛想の悪い無口なだけの所謂飲みニケーションなんかが大嫌いな感じの陰気な奴だ!空気を読んだ上で敢えてぶち壊していくと決めたんだ!」そう断固たる決意をし、上がりそうな口角を必死に抑えて会話に臨んだ。

 

「あ、お疲れ様です。あの、もしかしてここって上がってからもラストまで残っておかなきゃいけない決まりでもあるんですか?」

 

内心謝り倒しながらも、いい感じだ、と私は思った。質問に質問で返す時点で、最高に感じが悪い筈だ。それにこの上ない嫌味な言い方、完璧だ。優しく話し掛けてくれたパートさんに土下座したい衝動を抑え、空気を読んだ上で敢えてぶち壊すという背徳的な行為に対する高揚感で胸がいっぱいだった。動悸が激しかったが、これはブロンやエスモカのせいではないと確信した。

 

「違う違う!上がってからバスとか親の迎え待つ子が居るから、用事無いときはここでみんなで喋ってるだけよ〜。もしかして〇〇(私)さん、用事あって急いでた?」

 

なんて優しいパートさんなのだろう。私が貴女なら、胸ぐら掴んで小一時間礼儀とはなんたるかを説いている。大学生のバイトに怪訝そうな目を向けられながら私は言った。

 

「用事は無いですけどお先に失礼します。お疲れ様でした。」

 

こうして私は、空気が読めないノリが悪い話しかけづらい人の称号を得た。

 

続く

大金払って人殺しを許容されたい

自分だけが楽をするのは好きだ。平和主義者でも博愛主義者でも無いので、みんなの平和もみんなの幸せも知ったこっちゃない。私と私の大切な物(者)だけが守られて楽していければそれで良いと思う。そして自分だけが損を被るのは嫌いだ。たぶんみんなそうだと思う。自分が苦労するのと、みんなが楽している中一人で苦労するのは苦痛の度合いが全ッ然違う。感じ方の問題なので何とも言えなくてこれは私の主観だけど、自分が何かしら苦労をした時してる時、自分以外の人間をみんなと呼び、敵視してしまいがちなのだ。お前らだけ楽しやがって、何で私だけがこんな思いをしなきゃならないんだ、という感じで。私だけかもしれない。でもまあ、人間誰しも自分だけが損を被るのは絶対に嫌いなはずだ。みんなが同じくらい苦労してるなら耐えられることも自分だけがその苦痛を背負うとなると本当に心が折れる。そういう感情が最近強い気がする。とにかく私だけが損してて、みんなが楽ちんルートを走ってるのが許せない。みんな、たぶん誰もが自分だけが負債を背負うのは嫌だ。だけど世界中の人間全員がウン億万の負債を背負っている状態からのスタートなら、もはやその負債は負債でも何でもなくなる。ただの数字としてそこにあるだけな筈だ。そっちのほうが楽だ。みんなが自分と同じだけ苦労してみんなが自分と同じ底辺まで落ちれば良いと思うのだ。みんなが底辺に落ちてくればそこは底辺ではなくなるだろうし。とにかく話が逸れに逸れてしまっているけど、とにかく自分が、自分だけがする苦労が一番嫌いだし、辛い。だからみんなで楽をしようとかみんなが休憩をとれてみんなが定時で上がれる方法を考えようという方向にいくのではなく、自分もこれだけのことをさせられていたんだからコイツらだけが楽をして良い訳がないとかいう謎理論を展開する上司が居るし、非効率だとわかっていながらもその仕来りのようなものを変えようとしない上司がいる。分かりやすい例えで言うとこれ。俺達が若い頃は徹夜でサビ残当たり前だったとか何とか。知らんがなって感じの。時代錯誤なことを言い出す奴が居る。仕事に関してはこんな考え方1ミリも共感でないけど、言いたいことはわかる。自分たちが若い頃に押し付けられた苦労を今の若い人達がしなくて済むのなら自分たちがあれだけ苦労したのは一体何だったんだ、とかそういう気持ちが生まれてくることもあるのだろうし、若い世代にそういう負の遺産を引き継がせることによって何かしらの不満が解消されるのかもしれない。知らんけど。何故自分だけが苦労しなければならなかったんだ何故あいつらばかりが楽をしているんだ何故あいつらだけがあんな良い思いをしているんだ。いくら他人にサビ残させ続けようと、自分が若い頃に苦労した事実は覆らないんだけど、そんなことはわかっているんだけど、でも自分だけがあんな思いをさせられたんじゃ割に合わない、こういう考え方。よろしくないです。ちょっとってかだいぶ前にバズってたじゃん。社畜ネタ。でもまあこれは苦労してきたと思ってる人間よりも実際苦労してるのは現代の若い人なのかもしれない。昔は頑張ればその対価がちゃんと支払われていたみたいだし。確か私が見たのは何故みんなが楽できる方法を考えるのでなく、みんなが苦労する方向にいってしまうのだ、みたいなツイートだった気がする。うんうんホントその通りだと思う。苦労してきた人間、苦労している人間、下の人間に合わせて気を遣って、上の人間、能力が高い人間も同じ苦労をするべきだ、みたいな。よく居る不謹慎厨も程度の違いこそあれ同じ類だ、たぶん。社畜ネタに関してはおかしな理屈をこねくり回してる上司達が責められるべきだと思うしちゃんと声があがるのは良い傾向なんだろうと思う。不謹慎厨に関してはその事例による。例えば被災直後の東北で観光客が、炊き出しに並んでる行列を横目にバーベキューでもやっていたらそりゃあもう大変なことになってただろう。まあこれは極端な例なので実際どうなるかは置いといて、不謹慎厨というのは何処にでも居るし誰でもなり得るものだと私は思うのだ。不謹慎とは慎むべき場でしか使われない言葉であって、それならそもそも慎むべき場というものがたぶん人それぞれ違う。慎むべき場はたくさんあるしその場によって慎むべき人も違ってそれぞれそこに居る。慎んで欲しいと思う人間もその場その場で違う。不謹慎厨という言い方をすると意味合いが変わってくるかもしれないが、要は自分がテストの点数で落ち込んでる時に、100点満点を自慢して来られたらちょっと嫌だろ?みたいな話。不妊治療をしている夫婦の元にやって来て、自分の不注意で身籠り堕胎した報告はしないだろ?みたいな(不妊治療は心身ともにとてもしんどいと聞いたので)。それの度合いや話の規模は変われど不謹慎な人間に言いたいことってわかりやすく言うと大抵、周りを見ろ気を遣えみたいな事なはずだ。これ今書いてて思ったんだけど私が言いたいことは不謹慎とはまた別だな。まあ伝われば良いです。とにかくね、ガラッと話が変わるし話が拗れるけど、これは私が劣等感が強過ぎるからだとも思うんですがってか100%そうだと思うんですが、育ちが良いのが滲み出てる人間とかそういうアピールをする人間とか(アピールしてるつもりは無いのかもしれないが私にはそう聞こえる)を見てると虫唾が走る。本当に。大事なところを括弧内に書いてしまったけど、問題は本人にその気が全くない無くとも何故か勝手にダメージを受けてしまってる自分が居るということ。この思考が情けないやら悔しいやらで真面目に泣けてくるしもう辞めたくて辞めたくて、本当に辞めたくてたまらない。そして先程、不謹慎という言葉を例に出してしまったことを悔やんでます、今。これは完全に私の一人相撲であって、彼らは何気なく日常の出来事や当たり前の感情を吐露しているだけなんだろうということは理解してるつもり。それすらも腹が立つんだけど。つーかそれが当たり前だと思ってるとこが腹立つって感じかな。そういう訳でこれは私の愚痴で暴言で独り言なので誰にも刺さらないで欲しいんだけど何ていうかもう本当にみんなの当たり前の思想や環境が羨ましくてたまらない。妬ましい。気持ちが悪い程に自分を悲観していて、悲劇のヒロインに落とし込んでいて、だからこそのこの感情なんだということは理解しているんだけれど、みんな(みんなじゃない)が当たり前に持っている物を私だけ(私だけじゃない)が持っていなくて、それが悲しいし、それが辛いし、その持っている物のことで悩んで苦しんでいるのだろうと想像はしてみるけど一つも共感は出来なくてそれが辛くてその悩みを持てることすら羨ましいと思ってしまっている自分が気持ち悪くて本当に何ていうかもう駄目。無理。自分が気持ち悪いし何も持ってないなんて大嘘で私は色んな人に色んなものを貰ってここまで来た筈なのに、何も持ってる気がしない。これは私の生い立ちがどうとかそういう悲観ぶった話は全く関係なくて、たぶん人が持ってる物(者)が欲しくなる、何もかもを手に入れたいと思う浅ましく欲深い私の性質が原因なんだと思う。自分を人と比べなければ良い話なのだろうと、理屈で説明されて理解は出来る。だが比べないということは見ないということ考えないということを強制されるわけで、見えているものを、見えてしまうものを見ないことにしてそれについて考えない、なんてそんなことは出来ない。私はそこまで自分の脳みそを上手くコントロール出来ていないし、自分の脳みそと対等にすらなれていない。そんな風に私の意思とは関係のないところで勝手に妄想して勝手に腹を立てて勝手に落ち込む、鬱になる、死にたくなる、消えたくなる、涙が止まらない、となっていくわけだ。なんて厄介な精神なんだろうか。そして私が一番駄目だな、最低だなと思うのは「みんな」の中に私なんかより何億倍も苦労しててしんどくて何も持たない気でいる人が居るかもしれないのに、それを見ないことにしているところだ。苦労してる人間が偉いとも思わないし、自分が誰よりも苦労してるなんて思ったことは一度も無いが、私は、苦労してるしんどそうな人間のほうが好きだ。というより、何の苦労もしてないでただ当たり前を与えられてそれを受け入れて当たり前に生きてこられたような人間があまり好きではない、ので、苦労しててしんどそうな人間が好きだということになるのかもしれない。見てて話してて、楽だと思うのは確か。苦労しててしんどそうで辛そうな人間を見てると安心する。見下して、自分より下が居るのだなどと思うことは無いけど、それでも安心するのは、自分も同じようにこうしてどんよりしていられるからだと思う。体調が悪いことや、精神が死んでしまいそうなことを、隠さなくて良いことが安心する。自分のことで精一杯で周りが見えていなかったり、逆に人の辛さに侵蝕されてしまう脆さを持ち合わせてる人が、たぶん好きだし安心する。その中に居ることが安心する。でも最近はその安心する中でさえも、訳のわからない劣等感に襲われるしイライラするし何でこんな思いしなきゃいけないんだと思う瞬間がある。人の苦しみにそれほど興味が無い癖に、人の気持ちが分からない癖に、勝手にその人を決めつけて罵倒したくなることがある。お前が今現在置かれてる環境がどれほど恵まれているか、早く思い知ればいい。知った頃にはもう取り戻せなくなっていればいい。気付いて後悔して絶望して、早く血反吐はきながらのたうち回ればいい。そんな風に人の不幸を願ってばかりで、自分はというとただバイトして家事して腕切ってODしてたまに発作でてたまにフラバしての繰り返しで、誰よりも甘ったれた生活を送っている。自分からしても誰よりも甘ったれてる自覚がある。私はみんなに比べてたぶんそれほど辛くないはずなのだ。それでも、腹が立って仕方がないときがあるし、羨んでは死にたくなってを繰り返す。みんなが持ってる物が羨ましいなら、私もそれを手にいれればいいじゃないかと思った。でも誰の何がそんなに羨ましくて、私がどうなれば満足するのかが分からなくて、だから自分もそれを手にいれれば解決、ということじゃないらしい。厄介だ。私が何を求めているのか分からなくて、私のことを私より理解しているであろう人間に問うてみると「家族愛に飢えてる」「受容されたい気持ちがあるんじゃないか」と言われて、それも何だか誘導尋問されてそう思い込まされただけなのかもしれないが、家族愛、受容されたい、というのは当たらずとも遠からずって感じだ。家族愛、というものは何だかんだよく分かってないし、私が実際に見て知った家族愛なんてものは、親元を離れていた若い頃の私に優しくしてくださった友人の御家族や、フィクションの世界の家庭だけで、正直夢を見すぎてるところがあると思う。私の周りの人間が偶然、温かい家庭で育った人が多かっただけなのかもしれない。親に何を買って貰っただの家族旅行で海外だの何だの、そういうのを聞いてると心からくたばれと思う。本当に何故かそういう人が多いんだ、私の周りには。聞きたくないのだけど「私の親はそんな風に我が子に対して温かい人間では無かったので、そういう自慢話、愚痴を聞くと腹が立つ。私にお前の家族の話をするのは辞めてくれ。」なんてことは死んでも言いたくない。言いたくないというか、言えない。言える訳がない。言えたら今頃死ねているし、そんな風に言える人間の気がしれない。普通に痛々しくて気持ちが悪い。私の周りの人間の話は後で置いといて、置いといてまたぐちぐち長ったらしく書くことにしよう。腹が立つので。対して、ネットの人から聞く話は、あまり居心地が良さそうな関係では無いのかなと思うエピソードが多くて、とても安心しつつ、劣等感に殺されそうになることも少なくない。私が誰かの家庭の愚痴、嘆きの言葉を読んでいて、同情したり心配したり憐れむ気持ちが生まれる時と、その程度で虐待?その程度で?みたいな気持ちが生まれる時と、たぶん同じ文章を読んでもその時々で違っていて(もちろん違う文章を読んでもそれぞれに対して抱く印象は違う)、口に出してそれを伝えることは滅多に無いのだけど、心の中で思ってしまっているので、申し訳無いなと思う。思いつつ、嫌いになる。自分を嫌いになるし、「その程度」のことを受けてこの世で一番の不幸者のように振る舞う人間のこともその瞬間だけ嫌いになる。これは同族嫌悪なんだろう。私が「あの程度」のことをこれだけの年数引きずり続けて居るのを恥ずかしく思うのと同じように、というかそういう自分を見ているようで、「その程度」のことをまるでこの世で一番の不幸を背負っているかのように振る舞う人間をとても気持ち悪く思う。気持ちが悪いし、もう死ねばいいと思う。あいつらも私も。門限が厳しくて、携帯を取り上げられて、私物を捨てられて、今時はそういうのを虐待と呼ぶのだなと思うと私は20歳にして既に時代遅れな人間なのだなと思う。私のフラバしんどい愚痴ツイートに「うちの母親も過保護で、中学生になっても門限が5時だった。虐待はしんどいよね。」みたいなリプライを付けた元フォロワー、ブロックしてしまったけど、今になって申し訳なく思う。彼は私が過去置かれていた状況を知らなかったはずなので、ただ話に乗っかってきてくれただけだったのだろうけど、本当に劣等感とか色々が頭の中でガチャガチャうるさくて、その感情が気持ち悪くて拒否してしまった。それまで普通に会話して仲良くしてた人だったのだけど、そういう一時の感情で、心底憎くなってその人を全否定したくなってしまう。駄目だと思う。ネットだから良いか、とも思う。そもそも私の虐待の認識がズレまくっているのだけど、というか認識自体は間違っていないはず、虐待とは何かという問いへの模範解答を知っては居るのだけど、感情を通した上での私の思う定義みたいなものが、ズレてる。だからといって軽度の束縛を虐待と呼ぶのだとしても、私はそれを聞いて素直に憐れんであげることはできないし、被虐児同士の会話、ということでそういう話の流れになったときに、共感を求められても、「大変だったよね」と上辺だけであっても言ってあげられる自信が無い。過保護、とは何なんだろうか。過保護、過干渉、親との共依存、なんていう言葉をネットでよく聞く気がする。過干渉は過干渉で大変だよ、親との共依存は大変だよ、なんて言葉を掛けられたこともある。それはそれで大変なんだろう。私には計り知れない苦労が彼ら彼女らにはあったのだろう。それでも私はその言葉を聞いたとき心の何処かで、私にそれを言うのは不謹慎じゃないか?辞めてくれ、と思うことがある。不謹慎、という言葉がこの場合正しいのかどうかは分からないし、自分を憐れみ過ぎだと自分でも思う。ただ、私には分からないことじゃないか、愛情から来るのであろう過干渉、過保護、そういう愛情の伝え方を間違えた親に苦しめられるということが、辛いことだとか苦しいことだとか、そう思う感覚が分からないじゃないか。男と女に例えると分かりやすいのかな、過保護、過干渉は重い恋人のようなものなのかもしれないな、と思ってみる。私が人の話を聞いて、見て、の想像だけど。そうすると、自分の感情抜きにして考えれば、しんどいんだろうな、と思う。ただ、私の感情をそこに挟んでしまうと、贅沢者だと思ってしまう。良い歳した大人になってまで親に干渉され続け、自分の人生を滅茶苦茶にされたのなら、まだ同情できる。ただ、親に頼って生きている身で居ながら、過干渉だ過保護だ、そんな言葉を吐いているのを見ると、私の中がドロドロした醜い妬み嫉みで一杯になる。何でそんな言葉を平気で吐けるのかと、そんなに不満なら、そんな親に死んで欲しいなんて言うくらいなら、生まれた瞬間から私の両親とお前の親をトレードしてくれれば良かったのにと思う。中学生の門限が5時って、少し厳しいくらいの普通の範囲の親なんじゃないの。過保護って、年頃だとウザいのかもしれないけど、大人になって親と離れたら思い出して笑い話に出来る程度のことなんじゃないの。知りもしないのにそういう環境に置かれた人達の苦痛を私が勝手に推し量ってごめんねって思うけど、悪いけど、死んで欲しい。過保護だか過干渉だかで親が嫌いだと死んで欲しいと喚いていても、本当に親が死んだら泣き喚いてちゃんと親を失った悲しみを噛み締めるくせに。親のせいで生きづらいと言っておきながら、親が居なければ私は幸せになれるのにとかそんな風に嘆いておきながら、親が死んだら「大切な家族を失った可哀想な自分」をちゃんと憐れんで、周りに同情を煽る癖に。そんなことをいちいち思う。私には、過保護で過干渉でそんな親が嫌いで辛い気持ちは分からない。過保護や過干渉が、愛情からくるものなのか、ただ子供を自分(親)の思い通りに動かしたいという感情の現れなのかは、分からない。どちらもなのかもしれないと思う。過保護も過干渉も、子供を心配に思う気持ちが暴走した結果なのではないかというのも私の勝手な妄想なのだろうとも思う。何も知らないけど、羨ましく思う。ただ、自分を抑制されて、感情を殺され、親の操り人形(笑)になるのはさぞかし辛く悲しい人生なのだろうと言っておく。もうどうやっても同情は出来ないだろう。自分の感情を抜きにして考えれば、「親に自分の感情を抑え込まれるのは辛いよね。親はアナタのため、なんて言葉を都合良く多用しているけど貴方を思い通りに動かしたいだけなんだろうね。しんどいよね。アナタはアナタの親の子供でもあるけど、その前に一人の人間なのにね」なんてこんな言葉を掛けるのだろうか。いや、似たような言葉をかけたことがある。心にも無い励ましの言葉を、私は友人に投げかけたことがあるのだけど、正直1ミリも理解出来ずに居て、話を聞いてて死にたくなってしまってもう駄目だった。当時反抗期気味だった友人は、今、里帰り出産する予定らしくて、結局はそういう事だった。私は酷く幼稚で、頭がおかしいところがあるので、反抗期真っ只中だった友人を勝手に、親を憎んで生きていく戦友のように思ってたんじゃないだろうか。当時の感情はよく覚えてないけど、今の私も、親死ねば良いのに許せない殺したいって一緒になって言ってる子が、突然親と和解したら、やっぱり嫌いになるのだろうなと思う。裏切られたとも思わないし、憎むことなんて絶対にしないけど、ただ嫌いになるしもう二度と話をしたくなくなるのだろう。変だけど、そういう人間で、誰にあやまるでもなくただ申し訳ないと思う。私はいつも、スタートラインという言葉とプラスマイナスと数値で比喩することが多いのだけど、これは比喩なんかじゃなく本当にそのままなんじゃないかと、たまに思う。人生の、人が生まれた瞬間からの損得、勝ち負けのことを考えると、よくそう思う。そして、スタートラインやプラスマイナスで考えるともう私がどうにかしたいと思っていること全部、考えてもキリがないんだということに気付いて、しんどくなる。これを繰り返す。人間は生まれた瞬間から、既に優劣がついていて、そこからの環境でプラスになったりマイナスになったりする。そして生まれた瞬間からマイナスの地点に居る人間はありふれた普通と呼ばれる人間が居る0の地点、スタートラインまでがものすごく遠いのだ。これは私の中での勝手な妄想の話なので聞き流して欲しいのだけど、本当に、遠いのだ。遠いというか、見えない。スタートラインに居るみんなが見えない。あの頃のみんなの当たり前が、やっと最近理解出来て、私は、みんなが当たり前にやっていたことを何年遅れで知って、手に入れて、中にはもうどれだけやっても手に入らないものも多くて、逆にみんなが頑張ってる時に、私は先回りして別のことを頑張らなきゃいけなくて、どうやってもみんなと同じ風に進んではいけないんだなあって、悲しくなってしまって、全部本当に今更なんだけど、悔しいし悲しい。私だけじゃないのも分かってるし恵まれてない人間の中では恵まれてる方なんだろうなとも思うし、私は恵まれてるとも思えるんだけど。これは自業自得なんだけど、みんなが学生頑張ってる時に、私は何をやってたんだろうと思って、何でこんな馬鹿みたいなことを続けなきゃ生きていけないんだろうと嘆いてて、バイト先の仕事出来ない大学生に何度も同じことを教えて、「〇〇ちゃんいつもバイトしてるね、学校サボってるんじゃないの?笑」なんて言われて、アハハって笑って逃げて、何してるんだろう今これは何をしてるんだろうかって思ってた。あの頃に戻ってやり直したいとは思えないんだけど、戻りたい過去なんて持ち合わせていないんだけど、後悔ばっかりだなあって思ってて、後悔はしてるけど、かと言って最善策は無かったなとも思う。アレが最善(善では無いけど)、アレが最適解だったんじゃないかと思ってしまう。未だにどの選択をしても、マトモになれてた気がしない。あれ以上頑張れてた気がしないんだ、私は。そして、そのスタートラインよりもっと先のプラスの地点からのスタートだった人間とかって心から憎たらしくて死んで欲しいと思うんだけど、そういう人間が一丁前に病んで見せて、飲酒運転でパパにもらった車を駄目にした、死にたい、縁切られるかも、とか馬鹿なこと言ってる20歳の子なんかもそうなんだけど、殺してやりたくて、その子がたとえ本気で悩んでいて本気で死にたくて、パパ(笑)に縁を切られたら泣きじゃくって自殺なんてしてしまうかもしれなくても、失うものがあるだけマシじゃないか、親からもらった車を失って、大好きなパパ(笑)を失って、その失ったことを嘆いてる失ったものを最初から持ってない人間も居るんだよ、お前は知らないだろうけど、と思って、惨めで笑える。自分が持ってるものや、今居る環境を当たり前だと思ってる人間が嫌い。自分の当たり前を疑わない人間が嫌い。自分にとっての当たり前が、当たり前じゃない人間も居るということを知りもしないで悩んだり嘆いたりしている人間が嫌いだ。何もかもに疎い人間が、許せなくて殺してやりたい、理不尽でぶん殴ってやりたい。こんな風に劣等感にまみれて、惨めでたまらなくて悔しくて死にたくなるのももう辞めたい。殺して欲しい、死にたくてたまらない、楽になりたいと、口ばっかりで実際に何度も死ねてない自分が、本当に嫌いで気持ち悪いし、自分を辞めたい。本当に未だに、この歳になって、そういう発言をしている人間を一人ずつ殺してってやりたいし、マトモな人間を親に持った人間の口から吐き出される色々を眺めては、何を見せられているんだという気持ちになる。私が全部悪いのは分かってるんだけど。私が私じゃなければ、そんなものを見てこんな気持ちにさせられる事も無かった。私がマトモなら、こんな風に普通を妬む必要も無かったから、私が悪い。見下され、憐れまれると、死にたくなるので、耐えられないので「私は貴女の御両親のような人間を親に持てなかったので、私に貴女の御家族のことを相談してくるのは辞めてほしい。」と言えないので、私が悪い。そんな痛々しくて惨めなモノに成り下がるくらいなら友人なんて要らないとさえ思う。これ以上惨めな思いをしたくない。こうやって、ただ私だけが辛い思いをしている風に書いてるけど、学生時代を頑張った経験のない私は、イジメにあった経験のある子なんかにはとても羨まれるし、それは私も申し訳ない気持ちになることがある。申し訳ないけど、どうしょうもない。そして、そのイジメの被害者だった子に言わせれば、私がクラスに居たらそういう子を虐める側の人間なんだそうだ。否定はしないし、出来ないけど。私みたいな人間は甘やかされて育ってるのが分かるから虐めたくなるんでしょ、なんて言っていたけど、確かにその場に居てそうしなかったと断言出来ない。そのイジメの被害者だったらしい子は、共通の知り合いが居てたまたまその場に居合わせた私に言いがかりを付けてきただけのただの初対面の女の子だったんだけど、なんとなくそういう側の人間なんだろうなと思う。私がじゃなくて、その女の子が。私は経験したことが無いので、虐め云々は何とも言えないけど、この子が虐められるの分かるなあって感じの女の子だったから。いや、この話は蛇足、完全に。そうそう、私が学校サボってバイトしてたのを羨んできた友人と同じくらい、私が誰かを羨んでるのは訳のわからんことを思ってるんだろうなと思っている。大人にならなきゃいけないと思う。大人になるということは、外に出たときだけ大人の擬態をするというのじゃ駄目なんだろうか。私のこの思考は変えられないと思ってるので、せめて今まで通り、全てを表に出さないように務めるだけじゃ駄目だろうか。心の中で思うくらい許してもらえないだろうか。まあ、今ここで吐露してしまっているけれど、ここで吐く言葉は全て独り言なので、許してくれれば嬉しいなと思う。そして今日これは自分と、相談してきた同い年の友人と、不特定多数に向けているただの独りよがりな愚痴なのでこれを読んでくれた誰かに刺さらないでくれたら嬉しいな。私はこれを読んでくれるであろう数少ない大切な人をこんなくだらない独り言のせいで失くしたくはないので。もし読んでくれた人が一人でもいたら本当に心からお詫び申し上げます。ありがとうございます、よりまず先に申し訳無さが来るんだけど、そんな風に思うなら書くなって話なんだろうけど、まあ今更こんなもん読ませたところで私の心象は変わらないと思うのでこれからもよろしくお願いしますね、みんな大好きなので。乱文失礼しました、文調が統一されてないのはりゅうちぇるのせいです。おやすみなさい。

夢の話

 

4月3日 退院する前の日

 

すぐ目の前にガラスの膜

膜の向こう側にちゃぶ台、その上にガラス瓶

一輪挿しで寒椿

異臭 身動きがとれないことに気付く

足元に子供

 

4月4日 退院した日

 

逆さまに吊るされてる人

近付いてくる虫

こちら側に背中を向けて座ってる人

逆さまに吊るされてる人の中からの視点に変わる

背中を向けて座ってる人は足が無い

 

4月6日 今朝

 

水槽の中の髪の毛の中(自分)

視界が360度

頭上に腐乱死体

腐乱死体は知らない誰かなのに何故かそれを自分の母親だと思い込む(髪の中の自分が)

郵便受けから生えてる爪が剥がれる

緑色の手に掴まれる

 

ここだけメモしてたけど肝心の命日前後は記憶無し

今年も夢に出てきたかどうか定かでは無いしお寺にもまだ行けない

恋愛脳と足して2で割って両方叩き潰して解散

 

これめちゃめちゃ昔から言ってるんだけどもう一度念を押して言わせて貰ってもいいだろうか。私はメンヘラという不明確で都合の良い俗語を多様するのだけど、基本的に本来の意味のみで使うようにしてる。自称する時もそう。「心に病を患わってる人」という意味でしか使わない。それは何故か。メンヘラと聞くとすぐに惚れた腫れたの話を始める輩が多いから。「メンヘラって、LINE連投鬼電ストーカー痴情のもつれでリストカットの人ですよね?」そんなことを平気な顔で吐かしやがるバカタレの多いこと多いこと。「LINE連投鬼電ストーカー」これを聞いて連想する言葉なんて一つしか無いだろう。そう、ヤンデレヤンデレは好意の度合いがバカになって病んだ状態、もしくは愛情表現が過剰になってしまった結果傍から見たら病んでる風になってしまってる状態「病んでる」と「デレ」が組み合わさって出来た造語。この「ヤンデレ」と「メンヘラ」を混合してしまってる人間が非常に多いことに私はめちゃめちゃ怒っている。まあヤンデレは本来の意味のまま使われてる事が多いので、混合というよりメンヘラがヤンデレに侵蝕されてますよね、今現在。たびたび目にする「メンヘラさんと繋がりたい  監視癖  依存 俺だけ見てないと殺すよ?(ニキビブツブツ髪ベチャベチャとっ散らかった前歯)」みたいなタグを、眺めては通報また眺めては通報、としてたわけです、この現状をどうにかしたいと考えながら。そして思い立ったが吉日というので、今日の今この瞬間まで溜めてきたヘイトをここでぶち撒けてしまおうという訳です。そう、今ここで言う必要は全くもって皆無。ただ某○たんも言ってたように、あの「メンヘラの実態!」みたいな、メンヘラでも何でもないであろう小童が知ったふうな口を聞いてそれに群がるバカ女共が「わかる」「いるいるそういう子」みたいなこと言ってんのが死ぬ程ムカつく。ので、書いていきます。

 

そうはいっても、このメンヘラとヤンデレ妖怪大戦争縄文時代から続く陰湿な戦いであって、メンヘラとヤンデレの区別論の様なものも同じく縄文時代から既存なわけです。私ももう2年くらい前からメンヘラとヤンデレは別だって馬鹿の一つ覚えみたいに呟いてます。それでも混合するし世間一般の方々は同一視します。何故か。世間一般の方々からしてみれば「同レベルにキモい」と思うんです。これが現実。あゝ無情。私がそこら辺のパンピー達に「メンヘラとヤンデレは別だっつってんだろ!!!」とか声を張り上げてもアイツ等からしたら、ど〜〜〜〜でもいい訳わけですよ。だから何?って感じなんだろうな。それでも主張したい、何故なら俺は紛うことなきメンヘラだから。Twitterに蔓延るガチャ歯陰キャ喪ヤンデレの方々は知らないと思うので言わせていただこう。ヤンデレがステータスとして活かせるのは二次元もしくはめちゃめちゃ可愛い美人イケメンだけであって、ブサイクがいくら命を掛けて過剰に好意をぶつけたところでそれはストーカー(※犯罪)であること、そしていくら容姿が整っていようと相手がヤンデレからの過剰な愛情攻撃を許容できる人間で無ければ何も始まらない。世間一般の方々が想定するヤンデレというコンテンツは、ちょっと重く激しい恋愛観を持ちながらも常識の範囲内で死ぬ程愛し愛されてくれる存在。間違ってもそこら辺に転がってる芋ブス達からの脅迫めいた愛情表現じゃないです。そしてメンヘラ、これも同様で「ちょっとメンヘラ入った子が好き」とか言いますよね奴らは。んで具体例出させてみると「LINE連投鬼電痴情のもつれでリストカット」とかなんとか。無限ループかよ!!!!!話進まねーわ!!!まあ彼等からしてみればメンヘラもヤンデレも程々が良いらしく、本気で殺されかけるのは御免だと仰っていた。貴族の遊びかよ。私らは下々の民じゃねーんだぞオイ。

 

世間一般から同一視されがちなヤンデレとメンヘラの境界線は元々曖昧である。私の中の定義ではメンヘラの中にはヤンデレも含まれている、みたいな感じだろうか。さらに精神を患っていなくともヤンデレにはなれると思っている。これは文章で上手く書き表せるものではないな、申し訳無い。それでも何となくお分かり頂けただろうか、日頃から溜まりに溜まったこの膨大なヘイト。何故私の中で、こんなにも長くメンヘラヤンデレ妖怪大戦争が勃発しているのか、そもそもいつ、この戦端の幕が切って落とされたのか。それを私の文章力で説明するには十月十日程かかってしまうので、なるべく手短に書いていこうと思う。ヤンデレの何が気にいらないのか、どうしてメンヘラとヤンデレを混合されたくないのか。まずヤンデレの何が気にいらないかと。いや違う。私はヤンデレが嫌いなわけではない。むしろ二次元に限ったところで言えば割と美味しくいただける。そしてリアルヤンデレ、これは人によっては可愛らしくいじらしいとさえ思える(傍から見てるぶんには)。ただどうしても、ネットに蔓延るあの「俺・私以外を見たら殺すよ?」系の人達。アレがどう転んでも無理。受け付けない。だって薄ら寒いもん!!!キショい!無理!!たとえネット上のキャラだとしてもちょっと考えられない程に気持ちが悪い。言葉のチョイスとかも神がかってますよね、悪い意味で。ここまで一個人の感想です。そして客観的に見ても、ネットに生息する自称ヤンデレの方達ってちょっとノリが薄ら寒くないですか?いわゆる厨二病ですよね。一昔前に共依存マンセーのクソ女さんにも言ったけどさぁ、二人っきりの世界から出てこないで下さいって感じなんですよ。ヤンデレさんと繋がりたい、とか違和感しか無いですしね。だって私以外を見たら殺すんでしょ、相手も殺すんでしょ?なのに相手の方以外と繋がる必要あります?むしろ複数人と繋がったらあかんでしょアンタ等。二人仲良く御逝去なさってください本当にどうもありがとうございました。

 

そして何故メンヘラと同一視されたくないのか。これに関しては、私個人の感情も大いに関係してくる。まず恋愛脳(失礼)の人があまり好きになれない。というより、色んな人の恋愛脳の部分が好きではない。元カノ殺す芸人さん然り、彼氏好き好きアカウントさん然り、夜中に恋愛相談してくるリア友に至るまで「この人の恋愛脳なところが無けりゃもっと付き合いやすいのになあ」と思ったことが5億回くらいある。たかが男、女に執着し過ぎだろ、と冷めた目で見てしまう。ヤンデレの、恋愛脳の方達のそれは私から見てフィクションのようなもので、理解は出来るけど共感は出来ない、みたいな。「彼が私の生きる意味!」とかも、ハァ?って。二次元に恋するとかの方がまだ理解出来るんですよね。現実に支障きたさないし(同担拒否とかは知らん)。私に恋愛感情が無いのかと聞かれればそういう訳では無いと思ってて。でもちゃんと好きだとか恋しいとか実感したのはその人が亡くなってからなので、死んだことが羨ましくて大袈裟に神格化しちゃっただけなんだろうなあ、とも思います。まあ私の話はどうでもいい、とにかく、恋愛脳にはなれない。私は。と考えているうちに、ある一つの結論に辿りついた。私が様々な罵詈雑言を撒き散らしたくなる相手には共通点がある。その人達に対する「妬ましい」「羨ましい」という感情が私の根幹にあることだ。似非メンヘラに対してもそう、いいよなお前らはまだ後戻り出来るから〜みたいな感じ。ぶっちゃけると全部そう。ズルいって全員に対してそう思ってるとこある、私。なのでたぶん、私は恋愛脳(再度失礼)の方達が羨ましいんだろうなあと思います。春くんが死んだのとか関係無く、ただちゃんと人を好きになれる人すげーな!と思う部分はあります。私が色んな人に好き好き言ってんのも所詮お気に入りレベルですしね、February?待ってファボの英語なんだっけな、それですよ。それが私の最上級なんです。この人が居なきゃ生きていけないってレベルになりたい。認めます。認めた上で、「ああはなりたくないな」と思ってる冷めた自分が居る。羨ましい≦見下してるというか。自分本位の生き方しかしたくないし、他人に振り回された上にストレスを被るなんて考えられない。なんか、ヤンデレの人等が滑稽に見えて仕方ない。メンヘラとヤンデレを混合して欲しくないのは、私がヤンデレの方達を見下してる部分からきてるんだと思う。申し訳無い。まあヤンデレの方達も私なんかと一緒くたにはされたくないと思うからお互い様だな。恋愛なんかにかまけてる暇ねーんだよこちとら病んで病んでそれどころじゃねーんだよっていう「私のほうが辛いアピール(笑)」も入ってると思う、ので、誰が何と言おうと私が一番滑稽です。それは百も承知であって、それでも言わせて貰う。彼氏彼女のせいで傷付いたから病み垢(笑)つくりますだの失恋した死にたいだの、お前らもう恋愛辞めろよ(煽り)。最近では失恋垢(笑)とかも誕生したみたいです。もうコイツら病む為に恋愛してんのかなって思う。誰かが言ってた様に、失恋は立派なPTSDなんだと思う。それに、ボーダーの方達の話を聞いてると依存先を求めて見捨てられ不安とか色々そういうの全部引っ括めて恋愛なんだな、と思った。全部に共感は出来ないが病気の症状なのだからそれはもう死にたくなる程にしんどくて苦しいものなのだろうと出来る限り寄り添いたい所存です。けどね、それとこれとは別なわけですよ。ボーダーの方達のそういう症状とヤンデレ(笑)の方達のアレを同列で語っちゃあかんでしょ。だってヤンデレの方々って9割はごっこ遊びでしょ!?暗黒微笑とかやりたいだけでしょ!そういうのは!!私の目に付かないところでやって!!!!もう本当に申し訳無い、デモ隊とかやってもいい程にヤンデレとメンヘラを一緒にされたくない。ヤンデレの皆さん申し訳無い、私は貴方達を完全に見下して嘲笑しております。メンヘラとは、メンタルヘルス板に居るような精神病の人のことを指します。私の言うメンヘラは、精神疾患者のみを指します。彼氏が出来たらメンヘラ治ったとかいうツイート、犬の糞より役に立たないので他所でやって欲しい。くだらな過ぎる。

 

世間からしてみれば、ヤンデレメンヘラ両方キモいと思う。私は確かにそう言った。でも似非の方々は安心して欲しい。この間一緒に飲んだ友人Bが「ちょっとくらいヤンデレ入ってた方が可愛いし浮気しなさそう」なんて事を言っていた。ちょっとくらいのLINE連投、鬼電、別れるなら死んでやるから発言、手首のかすり傷、イブ10錠で自殺未遂、それらの行動は全て一般人が求めるちょっと危うい恋人像にドンピシャなはずだ。手に負える範囲でのメンヘラ・ヤンデレ行動。「ちょっと不安定な恋人にも寛容な自分」「恋人が生きていけるのは自分のお陰」みたいな優越感?承認欲求?を手軽に得るには、似非メンヘラ似非ヤンデレがうってつけだと思う。むしろそこにしか需要は無さそう。あとはネット恋愛で互いにクソサムい台詞を交わしあってて欲しい。そしてパンピーの方々に注意して欲しい、要介護のメンヘラは「世間を偽る仮の姿」で度々街に繰り出していたりする。そしてヤンデレも、何処に生息してるのかは全く知らんが何処かには居ると思う、世間を偽る仮の姿で。気をつけて欲しい。気付かぬうちに、想像を絶する世界に足を踏み入れてしまわないように…(暗黒微笑)。それと「メンヘラ入ってる子」とか言うけどメンヘラは入ってくるものでは無いからね。軸。本質。メンヘラという本体に色々な要素が加えられていく、もしくは本体がメンヘラに浸食されていく。しんどい。どう足掻いてもメンヘラ。

 

 

 

途中、ヤンデレ全く関係無い話になってきてたけど、ヤンデレヤンデレで生存して行って欲しくてですね。これは私の我儘なのでシカトしてくれて結構なんですが、住み分けして欲しさある。今日このブログを書こうと思ったキッカケですよ。TLが息してねえ!ってなるので、フォローを増やそうと思ってタグを覗いてたんですよ。そしたら、メンヘラタグ全滅。完全に「裏垢女子  依存  束縛  ドS  ドM  調教(爆笑)  ヤンデレ 狂依存(大爆笑)」これに乗っ取られてる状態。もう生粋のメンヘラみたいな方いらっしゃいませんね。どこに居られるんでしょうね、あの方達は。長くなったけど終わりです。もう自分が何が言いたかったのか、当初の目的を完全に見失っております。そう、思い出した。私が言ってる「世間を偽る仮の姿」というのは人間に擬態している姿ということです。人間の皮をかぶったメンヘラですよ私みたいなもんは。「世間を偽る仮の姿」コードネーム・メンヘラです。ここまで読んでピンと来た人が私は好きです。なんかさぁ一般人が想定するレベルのメンヘラとかヤンデレで留めておければ良かったのにな。私だって自分がここまで薬の奴隷になる想定はしてなかったわ馬鹿野郎ワハハ。おやすみなさい

 

 

百害あって一利無しを噛み締める

 

 

 

私、人の自傷画像見るの好きでよく自傷タグ徘徊するんだけど、そこに「リスカすると血と一緒に嫌なものが流れていってくれるようでスッキリする(うる覚え)」みたいな文章が添えられてた。それを見て、すえのぶけいこのlifeの歩が自傷した時に同じような心理描写があったのを思い出した。比喩的なものなのか、本当にそういう作用があるのかは分からない。私は自傷しても嫌なものが流れていく感覚にはならない。でも筋膜まで達する程深く切れた時には、確かにスッキリした気がした。その人が自傷する理由は嫌なことを血と共に洗い流したいからなのかなと勝手に思って、その感覚を味わってみたくもなった。そもそも何故自傷するのかなんていうのは人それぞれで、自罰的な何かだったり、破壊衝動を内に抑える為だったり色々あると思う。だからひと括りに構ってちゃんだと言い放たれると、腹が立った。確かに、辛さを分かってほしくて、SOSの意で自傷する人が一定数居るのは事実、でも様々な理由で苦痛を抱えている人がやっと吐き出せた苦しみを自身の身体にぶつけてしまう行為(薄皮を掠める程度の傷を加工してTwitterでひけらかす連中は別。)を軽くあしらわれた気分になった。でも、何故自傷行為をするのかと問われた時に、私なら何と答えるだろうか。βエンドルフィンが〜セロトニンが〜みたいな理屈っぽい答えなら幾らでも出てくるだろう。単に脳の分泌液のせいで繰り返してしまう、理屈は分かるけど私は何故自傷行為を繰り返すのか、という問いに対してそう答えるのは、何か違う気がした。人間は動物と違って理性があるから、人間らしい生活を送れてると思うし、全員が脳の分泌液やその感覚?性能?なんかに従って行動してたら国も社会も3秒で崩壊しそうだ。人は何故自傷行為をするのか、では無く私という人間が何故自傷行為をするのかを考えたかったのでここに書き留めておこうと思う。別に読んでる人に何故自傷行為をするのか問うてる訳でも無いし、否定も肯定もするつもりは無い。ただ私が自傷について考え模索する様を読み流して貰えれば良いと思う。

 

まず私の身体にある傷(白く凹んでる傷とかは省略して赤く凸してるケロイドのみ)を、不本意に加えられた傷も含めて数えてみた(暇か)。左腕25右腕43左脚8右脚45腹部1首4。ここまでが自らつけた傷。おでこ1顎1肩1腹部1手の甲1、根性焼きが左腕1手の甲1背中は肩甲骨から腰上まで埋め尽くす程で数えてないけどこれはつけられた傷。実際数にして見ても、いまいち多いのか少ないのか分からないけど、改めて傷を見ると気持ち悪いなと思う、本当に。初めて自傷した時はまだ、後先考えられない馬鹿だと思って後悔もしたし、自傷に逃げた自分に嫌悪感すら抱いた。何より自ら傷付けずとも元から醜い傷だらけの身体なのに、と憤ったりもした。当時は自分のした事に異常性を感じることができたし、それが嫌でもう切れないようにと、左腕のケロイドの上から墨を被せた。ただ一度自傷してからは堰を切ったみたいに苛立ちが溢れだすようになって、それを解消する為に行う自傷の何とも言えない開放感に囚われた。手段の目的化とでも言うのだろうか、自傷行為の言い訳の為に自らを追い込んで仕事にのめり込んでた気もする。とにかく今見ても、腕はイカ焼き通り越して洗濯板みたいだし、背中の火傷跡に関しては私自身も不快感を覚える程気持ちが悪いし汚いしで本当に嫌になる。見た人が全員不快になるだろう(集合体恐怖症の人は直視出来ない)。こんな身体で風俗だの結婚だのよくもまあしようと思ったなと思う。抱く方も抱かれる方も良い気はしないだろうに。こんな身体早く燃やしてしまいたいと思うけど、煙草を皮膚で揉み消す程度の小さな火傷さえ痛くて怖いのに全身を燃やされるなんてどんな痛みだろうと一人想像しては暗い気持ちになるので、焼身自殺は私には無理だろうなと考えている。

 

私が腕を切る理由を考えた時に、どうしても避けられない欠点がある。こうしてブログやTwitterで延々と不幸自慢を垂れ流す私を知っている人にそれを言うと、そんな筈はない嘘をつくなと言われそうだが、冗談抜きで私は現実世界で人に弱い部分を知られることが堪らなく嫌で、それを恥ずかしいと思ってる節がある。軽いところで言えば、偏頭痛で辛い時に隣でお笑い番組見てる旦那に、頭に響くから音量下げてくれと言えず無言で2階にあがるからなんとも感じ悪い風になってしまう。もっと言えば、毎日しんどくて苦しい辛い死にたいと思ってても、主治医にそれを伝えるのが気恥ずかしくて、普通ですとか意味の分からない回答をしてしまってた(さすがに効かない薬に金を払うのは馬鹿馬鹿しいので、紙に書いて渡すようにした)。私の頭の中は、生きたくないとか死にたいとか殺してやる、許せないとか辛い、苦しいとか、そんなネガティブで気持ち悪い思考が渦巻いてるのに、どうしても、それを身近な人間にすら吐き出せないのだ。それは昔から変わらなくて、たぶん身の丈に合わないチンケなプライドが邪魔してるせいだと思う。親しい人間にも知り合いレベルの人間にも、等しく、いつもヘラヘラしてて何も考えてなさそうな明るい私で居たがる自分が居る。人に弱みを見せたくないなんてレベルじゃなく、ネガティブな感情を言語化することを異常なまでに嫌悪する性質があって、それを捨てきれない。それなのに、「お前は毎日楽しそうで良いな」なんて言われた日には腸が煮えくり返るかと思うから、矛盾のオンパレードで自分がどうなったら満足するのか本当に分からない。どう考えてもズタボロなメンタルに似つかわしく無い変なプライドがあって、それが折れた時に自分がどうなるのか考えただけで恐ろしくて、気持ちが悪い程にそのプライドを守ることに徹してしまう。私の中でパンパンに膨張した恨み辛みを口から吐き出したくなるが、私自身がそれを許さないのだ。本当に醜くて滑稽だと思う。不可抗力で見られたことを抜かせば、結婚にまで至った旦那にすら泣き顔を素直に見せたことも無い。誰の前でも私は強く居たくて、本来の自分からかけ離れた姿に見られることに意義があると思ってた。でもそんなのはハリボテだし、いつか皺寄せが来るのも分かってた。その結果がこの醜い傷だ。旦那からしてみれば、腕から血を流しながらヘラヘラして平気平気なんて抜かす私を見て痛々しいと思ったことだろう。誰から見ても常軌を逸してるのに、それでも平静を装うことにもはや意味は無い。馬鹿げてるし、くだらない。こうして文字に書き表して幾分かは吐き出せてるものの、やっぱり、言語化してそれを誰かに伝えることで発散するのが良いんだろうと思う。でもそれを許さない自分が居たから今こんな傷だらけの身体がある。自分にぶつけるには遠慮しなくて良いし、それで死ねたらラッキーだし、良い事づくしだと思ってた。自傷なんて本来許されない恥ずべき行為だと理解させられる機会があって、その逃げ場も遠慮無しにぶつけて良い場所では無くなった。今は一人で泣き喚いて自分に当たり散らすしか能の無い私が、いつか身近な人にだけでも弱い自分を曝け出せる日が来れば良いのかなと思う。でもそんな日が来るのが恐ろしいとも思う。色々考えた末、弱く醜い自分を誰かに知られる日が来るくらいならその前に死んでしまって永遠に誰にも知られないままの方がマシだと思うくらいに、まだ今は、自分の中身を吐露することが嫌で堪らない。

 

 私が自傷行為を本当に恥ずべき行為だと自覚して、自重しようと思えた(だけで自重出来てない)のは、真夜中に行った救急病院の看護師さんのお陰だと思う。その頃は、酔ってラリって4階から飛び降りたが下の倉庫に受け止められて助かるとかいう滅茶苦茶マヌケな珍行動起こしてたりしてとにかく荒れてた印象なんだけど、その看護師さんと対面した日も例に漏れず酔ってラリってた。何かの勢いで腹に包丁突き立てて(痛くて死ぬまで刺せなかったヘタレ)それからは記憶が無いけどどうやら救急病院に連れてかれて、腹の傷をどうにかして貰ったらしい。普段病院嫌いで、精神科以外の病院は行かないので、そこが普通の病院だということを理解してなかった。腹部の痛みで起きていっとき経って、少し我に帰った時に看護師さんに呼ばれて腕の処置をして貰いに行った。その部屋にはいってすぐ、ボケっとした頭で袖を捲って腕を突き出した。看護師さんは目を逸して顔を歪めて、そこだけ鮮明に覚えてる。女性の若い看護師さんだった。腕の傷は血で固まってたけどそれを洗い流すと肉が抉れてて、どう切ったらこうなるんだって感じになってた。普段は自傷の傷なんて処置しないんだろうなとか、見慣れないだろうに気持ち悪いもの見せてしまって申し訳無いなとか、退院するまでの間ベッドの上で色々考えてた。自分で切ったのに人に不快感を与えてまで処置して貰って、ただただ申し訳無いし恥ずかしかった。こんなもの人に見せるもんじゃないし、見せられる方もいい迷惑だ。こんなことでしか憤りを表せない自分が嫌だった。退院して次の日からは別の病院に、ガーゼと包帯を変えるのと傷の消毒をして貰いに行かなきゃいけないとの事だった。正直消毒やガーゼ交換なんて自分で出来るし行きたくなかった。旦那に懇願されて、渋々その病院に行ったら、そこでも「なんでここまでするかね」と腹部の傷含め処置して貰いながら呆れられた。本当にその時間が苦痛で自業自得の癖に変に苛立って、帰って1人になって包帯とってまた切った(この頃の行動は今思い返しても本当に呆れ返るし完全に頭がおかしいなと思う)。衝動的に腕を切って、我に返ってアタフタしてるところに旦那が帰ってきて切ったことを怒られて、病院に行きたくないと告げても無駄で、また「普通包帯取ってまで切るかね」と言われて、医者は正論しか言ってないのに、医者にも苛立ちを覚えたし何より衝動に任せて行動する自分が心底恥ずかしかった。

 

 

そういう事があってからも学習能力皆無な私は、順調に傷を増やしてた。それでも旦那以外の人間の目に傷を触れさせないように過ごしてたんだけど最近誰かのRTで、普段の生活で自傷跡を隠さず出歩くか隠してるかのアンケートが回ってきた。当然私は隠してる方にいれたんだけど、普段自傷跡をオープンにしてる人の割合が思ったより多くて驚いた。ここでまた、lifeの歩の話に戻るんだけど、自傷してしまった歩がTVで「現代の心の闇リストカットをする人々(うる覚え)」みたいな番組を見て私のことだ…と考えてる時に、母親がTVに映るケロイドだらけの腕を見て「気持ち悪っ」と言ってTVを消す描写がある。それから歩は自傷行為をしてることが周囲にバレたらどうしようと不安に駆られるけど、未來という救世主が現れて「気持ち悪くないよ、それだけ辛かったんでしょ」みたいな台詞に救われる。これを読んでた当時の私は、学校生活のところはあまり入り込めなくて、でも自傷行為を繰り返す自分と葛藤する歩に心を寄せてた気がする。今読み返してみると、母親の反応は正常なものに思えた。ほとんどの人が、気持ち悪いとまではいかずとも、見ればなんとなく不快感を覚えるだろうし、それは間違った感覚では無く至極真っ当な感覚だと思った。未來の「気持ち悪くないよ、それだけ辛かったんでしょ」という言葉は所詮フィクションの世界でのみ違和感無く馴染むだけであって、現実で自分に向けられるそういう類いの言葉があったとしても、それは上辺だけの言葉だと弁えてる。自傷に理解の無い周囲を非難する文章をTwitter上でよく見かける。生きづらさを自傷で体現することしか出来ないでいる自分を責めることはあっても、その不満を周囲に撒き散らすのはお門違いだと思った。たとえ自傷癖をカミングアウトしたとして、周囲がそれを理解するかどうかは本人達に委ねるしか無いしもっと言えばカミングアウトされた側が感性によって判断するもので、それは人にどうこう言われて捻じ曲げられるものでは無い。当人からしたら理解されるのが一番嬉しいだろうし、気持ち悪がられたら悲しいのだろう。それでも、私やその他の人間に好き嫌いがあるように、私が蜘蛛や蛙を気持ち悪いと思うように、自傷行為を真っ向から否定して、見れば不快になる人間は一定数存在するのが現実だ。自傷跡を隠さず生活している人間は、その場で周囲の人間から理解を得た気で居るのだろう。本当に心の底から理解してくれていて、これまで以上に自分に親身になってくれるとでも思ってるのだろうか、とんだ笑い者だ。電脳世界での狭いコミュニティの中と現実世界との区別がついてないのか、それなら普段からあの薄ら寒いポエムをも言語化してる人間もいるのかと思うと笑える。信用のおける人間になら、自傷癖をカミングアウトすること自体は何ら問題無いと思う。ただそれを普段の生活で隠す事すらしない人間の神経を疑う。カミングアウトされた側の人間が自傷行為をしている事実は受け止めたとしても、それを日常的に視界に入れることを受け入れられるかどうかは完全に別問題だ。自傷の程度によるけど、傷跡を見て少しでも不快感を覚える人間が居る限り隠す努力はしなければならないし、それをしない人間は家から出るなと言いたい。ある意味tattooを意図して見せびらかして出歩く人間よりもたちが悪い。tattooを見せて出歩く人間はtattooを完全にアートとして見てるからこそ、隠さず堂々としてるのだろうと思う(それでも日本に居るなら、少なからず不快だとか恐怖だとかを感じる人間が居るし隠すべきかなと思う)。それに比べ、自傷跡を隠しもせず居る人間はそれを悪びれる様子も無く、「ジロジロ見られた」なんてまるで周囲の人間が悪いかのように言う馬鹿も居る。自傷行為は辛かった証、頑張った証、そう自分を甘やかすのも大いに結構。でもその歪んだ認識を周りに強要するのはいくらなんでも馬鹿げてる。辛かったから自傷してる自分をみんなは受け入れてあげるべきだとか、どこの世界の常識だ。薄ら寒いポエムで同情を煽る作戦は所詮ネットの中の狭いコミュニティでしか通用しない。それを理解出来ない人間は、ネットの世界から出てこないで欲しい。自分勝手に腕脚切り刻んでる人間のせいで周囲がストレスを被る羽目になるのは理不尽極まりない。そういう人間のせいで、最低限の身だしなみとして傷を隠してる人間が余計に非難の目で見られてると思うと、悲しくもなる。ここまで読んだ上で「私は自傷跡を隠す気も無いしこれからも時と場所弁えず一生ひけらかすしそれでも周囲は優しい人ばかりだから理解してくれてる」と考えるような勘違い馬鹿は、周囲の気遣いの上で成り立ってるその環境で甘え腐って、理解してくれた心優しい人間の気持ちをも無下にしていればいい。日常的に傷を晒してそれを視界に入れることを周囲に強いるなら、社会に出てからもいつ何時もそうして居て欲しい。恥をかこうが非難されようが、貴方の中ではそれを非難し偏見の目を向ける人間が悪なのだから。とか意地悪を言いたくなるくらいにちょっと本気で引いてる。自傷を理解されたいという思いは、自傷してる人間なら少なからず持ってるものなんだろう。でもそれを周囲に理解されたいと駄々をこねる様は見てて滑稽だし、ましてそれを日常で晒しても許されたいなんてのは烏滸がましいと感じる。誰しもが理解されたいこと、理解できないこと、それぞれに折り合いを付けて初めて人と関わっていけるのだと思うから、自傷行為が世間的に認められない理由を理解した上でうまく付き合っていけたら良いなと思う。Twitter見てる限りまだ自分みたいに人生ぶん投げてる人間だけじゃ無いと分かるからこそ、傷が障害になってこれから経験する色んなことを制限されるなんて悲しいし、自傷してしまう自分を責めて一層暗いところに落ちてしまう人が居るのも悲しい。自傷行為をする自分を誇らしい風に言う馬鹿とか誘発させる言動をする人間に惑わされず、なるべく他の方法で行き場のない辛さだったり憤りだったりを処理していけるようになれば良いのになと思う。

 

 

最初に問題提起した私が自傷する理由、ボケた脳みそを幾ら叩き起こしても、自分の感情をコントロール出来ない幼稚な人間であったり、それをぶつける先が自分に限定されてて処理の仕方を自傷以外に見つけられてないってことだけしか出てこなくて、何だかんだ御託並べて置きながら結局脳内の分泌液に従って行動するような愚直な人間だからって結果に結びついたわけなんだけど。そもそもこんな誰もが予想ついてたであろう結果しか出てこない考察に意味はあるのかとか、それだけの事を7000文字以上使わなきゃ書き表せないお粗末な文章力の癖にブログなんか書くなよとか、色々ツッコミが入りそうでワクワクしてる。私は何故か文章書くといつも調子に乗って上から目線になってる自覚はあって、見下してる人間のことを書いてる部分だし別に良いかなとか開き直ってるし、それでも良い人間だけが読んでて欲しいなと思う。このブログは完全自己満だし、1分で解決しそうな問題をこれだけ文字数使って長ったらしく書く馬鹿も居るぜってことで、これ見てる人が、こんな馬鹿も居るから自分はまだ大丈夫だと自信を取り戻すなり読んでてクソつまんねーな死ねカスとか苛立つなりしてくれればそれだけで私はこれ書いて良かったと思うからさ。途中偉そうに自傷見せびらかして出歩くなとか言ったけど、誰にどう見られても構わんしそれで迷惑被る人間がいても知ったことか!みたいな人が居てもそれはそれで全然良いと思う、何が正解とかたぶん無いしね。反対意見とか単純にお前がムカつくみたいな奴とかも全員Twitterに集合でお願いします。毎度の事ながら文体しっちゃかめっちゃかで語彙力も構成力も起承転結も無く日本語不自由で読みにくくて無駄に長く感じる文章しか書けなくて申し訳無い。6000文字までいった辺りで一回全部消去しちゃって思い出せる部分が斑なまま無理矢理繋げたからいつもに増して酷い出来だけど、消えた時点でやる気0になってまたここまで書けたことが私にしては偉いから褒めてくれ。ここまで読んでくれた人、居たらありがとう。

脳内廃棄物処理センター

 

毎年この季節は糞親フラバ月間が訪れるので、私の意に反して脳みそが勝手に実家にいた間の記憶を延々とリピートしたがる。どうせメンタル袋叩きで何も手につかないし思考も止まらないので文字に起こすことにした。こうして目に見える形で記憶を残すと、これを読み返した時に自分がキツいんじゃないかと考えたけど、今優先すべき事は脳みそにパンパンに詰まって今にも爆発しそうな記憶と思考が入り交じったものを放出することなはず。たぶん今回は前回よりとんでもなく長文だし文体も内容も全部酷くて支離滅裂だと思うからそれでも良い人だけ読みすすめてね。ここから先は虐待描写を含むから苦手な方はブラウザバック推奨。

 

大体年間通して見ても私の生活態度は目に余る酷さだと自覚してるんだけど、3、4月と8〜10月は特に酷い。まず日頃から思考が止まらずフル稼働してる脳みそが、この時期になると古い記憶が勝手に掘り起こされて思考と記憶の読み込みが同時進行されたりする。意味が分からないくらいの量の情報を読み込んでいくからこっちの意識が追いつかなくて気が狂いそうになる。いくら思い出したくないと懇願しても私の記憶を勝手に読み込んで勝手に再生するしそれを時系列バラバラのシャッフルで延々リピートされるから本当にたまったもんじゃない。私の脳みそなはずなのに、私が制御しきれないのが歯痒い。むしろこの暴れ馬みたいな脳みそが私という人間の全権を握ってるのは重々承知してるのだけど。

 

考え、音楽、感情、映像などが連想的に次々と湧き上がってきて、それをコントロールできない状態は、解離の研究では、「思考促迫」(Gedankendrängen)と呼ばれています。

しかし、統合失調症でも同じような症状がみられ、「自生思考」(Autochthones

Denken)と呼ばれています。

(引用機能があったのでどう表示されんのか気になって使ってみた)

 

まあそんな症状は物心ついたときから私に付き纏ってるので今更何てことは無い。かと言って、記憶が勝手に掘り起こされて再生される所謂フラッシュバックは勘弁して欲しいところではある。現実との区別がつかなくなって正気じゃ居られなくなるし身体中の至るところが痛痒くなる。ただただしんどい。灰皿を見て発狂してぶん投げてガラス割ったり、たぶん私なんかより百倍、一緒に暮らしてる旦那がしんどい。健常者から見た私は、自分で思ってる以上に酷いし完全にキチガイ。それは大抵一人のときしか出ないとはいえ、フラバからの破壊衝動のテンプレに何かしら対策を立てないといけないと考えてはいる。

 

物心ついたときから考えることを辞めない私の脳みその中身は変わらず、十何年もほぼ同じ問いかけを繰り返している。その答えに辿りつくのは怖くもあるけど、それ以上にその答えを求めてここまで来たし、なんとなく死ぬまでに絶対に知らなければならないと思ってしまう。というか十何年も同じことを考え続けてるのにそれに辿り着けずに死ぬのは悔しい。なんの為に生きてきたのか分からないというくらいに。精神医学の文献とか心理学の本とか色々、足りない頭なりに辞書引きながら読んでみるけど、いまいちピンと来ない。それは私が文章、語句の意味をきちんと噛み砕いて理解出来ていないからかもしれない。そもそも被害者意識の塊である私のフィルターが掛かることで、照らし合わせる事実は大きく捻じ曲がってるだろうし。その問いかけは、死ぬまで終わらない気もしてる。私の脳みそが考えることを辞めないという事は、もしかしたら答えが見つかって欲しく無いのかもしれない。常に頭から切り離せずにいる「何故私はあの人に虐げられなければならなかったのか」という問いかけ。それを考え続けることは、治ろうとする傷口を自ら掘り下げていく作業の様で、私の脆い精神力を根こそぎ奪われる行為。それでも辞められない。

 

私の父親は饒舌な人で、家庭内での私以外に見せる顔は愛想が良く世間で言う「良い父親」そのものだったんだと思う。実際に近所の方には仲の良い親子を演じていて、何でもない顔で人を欺いて取り入るのが上手い人だった。息をする様に嘘をついてそれを信じさせることに長けていた。一つの職場に長く務める事は無かったけど、各職場で同僚らしき人や上司らしき人によく飲みに誘われていた。行く先々で人の輪の中心に居るようだと母親から聞いた。たぶん、場の空気を上手く回したりとかそういう事が出来る人だったんだと思う。裏の顔を知る私からすれば普段の父親の振る舞いは、不気味以外の何物でもなかったが、その私が抱いた感情すらもあの人の思惑通りなのかもしれないと思うと改めて恐ろしい。当時の私は、友人から慕われ妻に溺愛され、職場の仲間とも和気あいあいと過ごす器量のある父親は、世間一般から見ると人格者であり、その父親に罰と称され虐げらる自分は世間から見ても悪なのだと思い知った。自分以外の全ての人間が父親の人格を認めている様に見えたし、私に対する行き過ぎた加虐趣味を黙認していた母親に父親を崇拝する事を強要されていたので、それだけでも洗脳は完璧だったはずなのに、父親は念を入れてなのか、追討ちをかけて私の生きる為の、反抗する為の気力を断ち切ろうとしていた。

 

思い出せば吐き気を催す程悪趣味で、頭の悪い子供を洗脳するには有効且つ効率的なやり方だと感心する(※個人の感想であって人によっては甘っちょろい)程の躾によって、元々薄かったであろう私の自我を無いものとするのは簡単だっただろうと思う。個人の精神構造を強制的に破壊し変化させる上で有効とされてる方法を知ってか知らずか、私に行われてきた躾の中には某カルト教団などが用いた洗脳方法が多数含まれていた。この偶然は、今思えば少し考えれば馬鹿でも分かることばかりだと気付くしそれくらい被虐児ならみんな経験していると思うが、まだ自我が芽生えたばかりかそれぐらいの子供の頃に毎日長時間その方法に忠実に、十数年継続して躾という名の洗脳を行った事実があるからこそ、恐ろしくて堪らなくなった。

 

毎日欠かさず行われたのが刷り込みという同じことを何度も繰り返させる行為で、特に声に出して呪文のように延々と、自分が生を受けた事を詫びながら今ある自分の存在を否定する言葉を唱えさせられてた。抑揚の無い調子で同じ言葉を繰り返し言わせる事で意思決定力や思考力を落として、反抗する力は失われるらしい。そもそもこの風習(?)は物心ついた時にはもうあって、毎日暗い部屋で父親と二人きり、裸で正座して(産まれてきた理由とか自分の存在という概念さえいまいち分かってないまま)言わされてる言葉は何千回何万回、十数年なので下手したらそれ以上とかなのでその回数分、環境によってはそれ以上に「産まれて来てしまって申し訳無い」という意識を脳みそに刷り込む事が可能らしい。けど、私は未だ死んでないしどうなんだろう。少なくともあの人の所に居て言わされてた時は完全に産まれて来てしまった自分が悪いと思ってたので効果はあったのか。言わされてたあの呪文は未だに私の深層心理に根付いてる感情の一部な気がする。睡眠と食事を満足に与えられなかったことや暴力による後遺症より、自分自身の中で繰り返される自己否定の方がよっぽど、今になって重くのしかかってくる。それに、あの家に居た時間の中で思い出せる範囲では「産まれて来てしまった自分が悪いのだから、罰を受けても仕方がない。耐えなきゃいけない。私が産まれてきてしまったことでこの人の人生を狂わせてしまったのなら、この人が私を殺したいのは当然。」みたいな狂った思考になってた。今思えば完全にトチ狂ってる謎理論。

 

方法を変えれば詠唱(読経など)で生み出されるハーモニーにはリラックス効果もあるらしい。

 

まあ後はほとんどが暴力の恐怖による支配で、そのやり方がえげつないし痛いし怖いしで、とにかく毎日「殺される」「殺してくれ」「怖い」とかの感情がローテーションだったり同時だったりした。あの人は、真っ暗な部屋に閉じ込められ裸で正座しながらあの呪文を唱えさせられてる私の背後のソファーに腰掛けて、「そうだなお前が悪い」「俺を不幸にしたお前は罰を受けるべきだ」みたいな相槌を打ちながら煙草を吸っていた。背後に居られるといつ何が飛んでくるか何をされるか分からない恐怖、表情が読めない恐怖で頭がおかしくなりそうだった。灰皿と呼ばれれば歯を食いしばって背中を差し出したし、高笑いしながらみぞおちを蹴りあげられても気道を抑えて声を殺した。全部、受け入れなければならないと思ってたし罰を受ける自分と嬉しそうに罰を与える父親は日常で、私の中でそれは当たり前のことになってた。そんな風にすぐ思い込まされた私を馬鹿だと思うし中学生になってからも思考放棄してされるがままだったなんて正直呆れる。今なら冷静に判断して、父親の言うことを否定できるかもしれないが、当時の私には父親と二人きりのあの部屋での時間がとてつもなく長く感じて、部屋に入れられたら終わりが見えない恐怖に支配されていた。

 

当時不思議だったのは、私から見た父親はいつも余裕があって愉快そうな顔つきで私が苦しむ姿を見せるととても満足げに笑ってみせることだった。私の前でさえもほとんどイラついた様子を見せることは無かったし、こっちが悶絶していると嬉しそうなのだから、その表情がどの感情から来るものなのか分からず、逆に恐怖心を煽られた。幼いながらに、こんな風に痛めつけるくらい憎い相手に向けられる顔としては似つかわしく無いんじゃないかと思っていた。たまにビデオカメラを回して躾の様子を記録しだすこともあった。弟の運動会なんかの撮影をする為のそれと同じ物でそんな場面を延々と撮り続けるのは可笑しいなと思ってレンズを眺めた。指の関節を逆方向に捻じ曲げられながら折れるまで耐えられるかなんて言われたり、首絞められながら顔面にぶっかけられたり、尿意を我慢させられた状態で腹を蹴られ続けて漏らしたら罰ゲームとか訳の分からない事ばかり言われたりされたり、とにかくあの人がやっみたい事や思いついた事を片っ端から全部やってみてる様だった。許してくださいと何度も懇願するとその様子もまた嬉しそうにビデオに収めて、勝手に口を開いた罰だと風呂場で湯船の中に頭を抑え込まれ続けることもあって、10歳かそこらの子供にしてはよく耐えたなと思う。私に降り掛かること全部が、罰だと言われたらそれはもう受け入れなければいけないものなのだと理解したつもりでいた。躾の際にたまに実験だとか罰ゲームだとかそういう言葉を使ってたけど、その言葉がどの場面でどの様に使われていたのかはあまり覚えてない。ただあの人にとって私を甚振る事は、何か好奇心に突き動かされての実験だったり、ゲームの中の人間を無感情で殺すくらいの感覚だったのかもしれないと思う。

 

こういう罰と称された躾には日常的に生理的欲求を制限される事も含まれていて、風呂トイレ以外の生活は全て父親に手懐けられた母親に管理されていた。睡眠もまともにとれず食事も弟や母親の食べ残しの残飯の様なものが少量で、三人が寝静まった頃腹を膨らませようとして水道水を沢山飲んだのを覚えてる。母親が自ら進んで私に危害を加えようとするのは、大抵ストレス発散の為だったから殴る蹴るだけで済んでて楽だった気がする。それ以外は私の存在は無いものとして扱って放っておいてくれた。ただ、別に危害を加える気なんて無いのに、アレに近づくなと弟を私から遠ざけていた。溺愛する自分の夫からそう命令されたのか自主的になのかは分からないけど、大事な息子があの人の躾の被害にあわない為の行動だったのかもしれない。弟が憎い時期もあったけどそれは少しの間で、母親に大事に守られて父親からも愛しそうに撫でられる弟をただ羨ましく思っていた。

 

未だに鮮明に思い出せることがある。あの部屋には窓を開けてすぐのベランダがあった。そのベランダの柵の向こう側、30cm程の淵に立たされた。4階から見る地面は暗くて底無しのようだった。「日があけて歳取る前に飛べれば自由」そう言われても何故か柵から手を離せなかった。毎日心の中で殺して欲しいと懇願していた。それ程死にたかったし楽になりたかったはずなのに、30cmの淵にしっかりと足を乗せ柵を握りしめることで精一杯だった。本気で落ちることが怖かったんだと思う。毎日終わらせたいと願っていた日常を終わらせるチャンスをみすみす逃した。柵にしがみつき泣くのを堪えることしか出来ずに居る私を、あの人は嘲笑しているように見えた。その後は珍しく何もされず、ただベランダへ締め出されて一人誕生日を迎えた。8歳になったばかりの私がベランダで啜り泣く声があの人に聞こえたのかどうかは分からない。あの頃は学校以外では狭い家庭の中しか知らずに生きてたから特に父親をおかしく思う事はなかったけど、今改めて考えると本当に気が狂ってるとしか思えないし、飛べなかった当時の自分に情けない思いが募る。

 

「何故私はあの人に虐げられなければならなかったのか」という問いかけに対する答えは、あの人から言わせれば単に暇つぶしとかお前が嫌いだからとかそういう事で理由なんてものは無いのかもしれない。気になって一度中学生になったばかりか、なる直前くらいに、何故産まれてきた事が罪になるのかを聞いた。すると、お前は要らないのに産まれてきて、その産まれてきたことに対する罰を今受けてるんだみたいに言われたけどいまいちピンと来なかった。で、母親に聞いてみるとどうやらあの人と母親は男の子を欲しがってたみたいで、第一子が女だったことを非常に落胆したらしい。父親の父親で私の祖父の会社に跡継ぎが必要なので祖父は孫が男の子なら継がせる様な事を言ったらしい。金銭的な事情もあってなのか男の子を一人だけ作ろうとなって、運悪く産まれてきたのは女。その状況なら父親がお前を殺したいと思うのは当然だろ、と言われた。殺さないでいてやるだけは優しい父親だと付け加えられた。中学生にもなればその状況で女が産まれることの意味は分かる。でもそれだけの理由で殺したいと思われるのはさすがに理解出来なかった。たぶん教えられた理由はただのきっかけに過ぎず、父親の中に元からあった嗜虐性を、運悪く女として産まれてきた娘にぶつけてみたに過ぎないのだろうと思う。たまに、被害妄想が暴走して虐げる対象が欲しいだけの為に女と分かっても堕ろさなかったのではないかと勘ぐってしまう。でもそんなのは考えたところで本人達にしか分からないことであって、いくら私が思慮巡らせたところで答えには辿り着かない。どちらにせよ、あの人達は私を人間として娘として見たことは一度も無い、今なら分かる。

 

何を考えながら虐待してたとか、何の為だとか、誰のせいだとか、全部本当の意味で理解することは出来ない。自分の父親を人間として微塵も理解出来なくて恐ろしい。分からないから恐ろしいんだと思って、必死こいて虐待する人間についてとにかく調べまくった。父親の言動や実際に受けた虐待を調べた文章と照らし合わせてみると、児童虐待をする人間の心理についての記事にある親の思考や性質より、動物虐待をする人間の心理についての記事にある性質に当てはまり過ぎてることに気付いた。虐待するのは発散とか支配が目的ってのは結構書いてあるんだけど、対象が苦しむ様子を見て快感を得る目的ってのは動物虐待の記事に多かった。大袈裟に考え過ぎだし被害妄想なのかもしれないけど、あの人の脳内で私は娘よりもっと私物化された動物に近かったんじゃないかと思えてくる。別に今更それが悲しいとかどうとかじゃなくて、それなら納得がいくというか、まだ理解が及ぶ範囲ではある。征服欲を満たす為だとか色々理由はあったのかもしれないけど、何となく嗜虐性をぶつける事を許される対象が出来たからぶつけてみた、みたいな単純な理由から始まって嗜虐性が暴走した結果があの躾なのかもしれないと思った。児童虐待と動物虐待の共通点は多いんだけど、両者共そうなった経緯を考えた時に過去に虐待されたり何らかの形で迫害された経験がある人間が多いらしい。あの人も実は被害者だったのだろうかと考えるけど例えそうであっても同情しないし勿論許すつもりも無い。それはあの人が、私が産まれて来てしまったことを許してくれなかったのと同じだと思う。

 

思い出せる限り思い出してそういう心理の記述と照らし合わせて分析していくうちに、とてつもなく絶望的な脅威に気付いた。父親によって刷り込まれた自分は生きててはいけない人間だという思考だけではなく、それ以降の実家から離れて生きた時間での出来事も関係して、元々いつか死のうだとか実際に自殺未遂を繰り返している所はあった。だけどもはやそれ以前の問題というか、洗脳が解けてそれ以降に自分で再構築してきた自我、アイデンティティの様なものが根底から揺るがされる脅威が、嗜虐性の連鎖であってそれを他人にぶつける事よりも自分が、あの父親と同じ言動をし同じ性質を持ち合わせてるかもしれない事実が何より恐ろしいと思った。これに気付いた時に、周りの人間の心配より、自分が嗜虐性を持ち合わせてる事実を気にすることを優先した時点でもう倫理的にどうなのかという話なんだが。嗜虐性自体は多かれ少なかれどの人間も持ち合わせてるらしいんだけど、その嗜虐性をセーブする役割の善悪の基準さえも自分の中で揺らいでしまって、自分の中での善悪の基準が世間一般から大幅にズレてる可能性は大きかった。実際にその嗜虐性の連鎖や何やかんやの遺伝についての論文を読んだ数日前に担当医に倫理観やモラルの欠如について宣告を受けたばかりで、リアルタイム過ぎて自分の状態に危機感を感じた。前提として、倫理観が無いかズレてるかしてたら一般社会に溶け込めないものと考えていたから、もしその前提から間違ってたらと思うと、これまで実家から出て培ってきた自分というものや、その上で成り立ってた精神構造は正解とは真逆の所にあるんじゃないかと思った。とにかく仕事で認められていれば自分が肯定されてると感じたし、心を許してないとしても世間一般で言う友達や知り合いは多い方だったから、これで大丈夫だと勘違いしていた。極端に言えば薬やってようが援交してようが、仕事する上で認められてて人間関係が円滑に回せていたら全部OKだと錯覚していたんだった。そこでまた思い返してよくよく考えれば、あの気が狂った父親も友達や職場での人間関係は円滑に回せていたことを思い出した。いくら人間関係が上手く回せても仕事が出来ると褒められても、あの父親のようにならない保証は無いし寧ろ近付いていたんじゃないかと気付いた。どうしても同じ轍を踏む事だけは避けたかった。虐待云々の話じゃなく、根本的な部分であの人とは違う人間で居たかった。一度気付いてしまった事実は、被害妄想も手伝ってどんどん膨張して私の思考を占領した。時間がたって冷静に思考を張り巡らせると、今まで自分が罪悪感なんて微塵も感じずに徹底的に陥れて虐げてきた人達の事を思い出して、自分を傷付けた人間なんだからやり返されて当然だとか馬鹿げた理論掲げてた過去の自分が居た。それを思い出してからの感情もやっぱり自己中心的で、自分が傷付けてしまった人達への申し訳無さよりも、傷付けた人間への仕打ちの残酷さを考えてそんな事を平然とやってのけた自分が父親に近付いてるんじゃないかという心配が上回った。自分がした事への罪悪感が沸かないのはおかしいし、心的外傷を植え付けるくらいは平気でやってしまってたんじゃないかと思うと遺伝子どうこうで片付けられる問題じゃないのも分かった。そもそも私が被虐児とかそんな言い訳は通用しないくらいやり過ぎた事は多々あって、もはや自分が嗜虐性をコントロール出来てないことは明らかだった。警察なんかが介入してくる大事に発展しても誰かにそれを擦り付ける事で逃れてきたし、実際薬でトチ狂って身内のヤクザの下っ端みたいな奴を刺した時も自分の身を守る為にやったと主張したら、命に関わる怪我で無かった事もあってお咎め無しで終わった。とんとん拍子でここまで来てるから調子に乗りすぎてたことは十分自覚してる。それでも、これまで自分に降り掛かった色んな不幸と相殺されてチャラだとか謎理論で自分を納得させてた。自分が感じた理不尽を他人に撒き散らして発散させて何がチャラなんだ馬鹿か、と思う。本当に頭が悪くて呆れるし、情けなくなる。

 

今はもう自分が、気に要らない他人の人格や言動を全否定して精神的苦痛を味あわせる事で快楽を得るのが趣味の外道だと自覚してるので自分の中で決められたここまでというラインまでは好き放題やってるが、勿論それで良いと思ってる訳でもない。もう本当に色々取り返しが付かないところまでやり尽くしてしまってて、何が良くて何が悪いみたいなラインも曖昧で、制御も効いてない。本当に私は昔から変わらず害悪で、今はネットでだけ本性露わにして別垢でフォロワーの身内釣って暴露して遊んでみたり同族嫌悪の似非メンヘラ害児叩いてみたりして気を紛らわせる事にしてる。糞田舎の狭い世界だから出来る事だったけど、働いてた時に理不尽に楯突いてきた奴は業種によって横の繋がりが強いのを利用して私の持ち得る最大限の無駄なコネフル活用して悪評垂れ流しバイトの面接さえ受けさせないみたいな最悪に姑息な嫌がらせしたりしてた。(今考えると恥でしかない過去だし最低だなと思う。)私の最低ラインが一応そういうネットで誰かを陥れたりする事までなのは、相手がいつでも逃げれる環境が揃ってるからであって、たまに例外もある。例えばネットでも私に悪意を向けてきた相手だとかは、裏垢リア垢FBから住所本名勤務先特定して晒すまではしなくても自分が握ってる個人情報を誇示して恐喝まがいの事をしてたり、馬鹿げてると思いつつそれが楽しかったらもう飽きるまで辞めない。もう本当に底辺だし幼稚だし頭がおかしいと自分でも思うけど、自分が飽きるまで叩きのめしたいし最初は悪意を向けてきた相手が悪いとしても過剰防衛して戦意を無くした人間までも攻撃する様は、傍から見たら滑稽だろうなと思う。くだらない。ネットでも現実でも、人の足引っ張って何が楽しいのかと言われても、自分でも分からない。でも変に下に見られたり嫌いな人種に悪意を向けられると、もう見過ごせない。そういう無駄なプライドがあって異常なまでに固執するから、いつまで経っても幼稚なままなのも分かる。こういう部分の改善は今後の私の課題にしようと思う。

 

ここまで読んだ人はもう分かると思うけど、私は、被害者意識に取り憑かれた加害者で、日頃から思い出すのは自分の受けた被害だけで傷付けた人間のことなんて忘れ去ってしまう最高に都合の良い脳みそをしてる。ここに書いて無い不幸な出来事も犯した悪事も全部含めた上で、誰がどう考えても加害者だと自覚せざるを得ない。(だからこれを見たフォロワーが私を嫌悪して今日は大量ブロックされるだろうななんて思いながらこれを打ち込んでる。もう半分ヤケだしそれはそれで良い。)ただ私だって最初から加害者だったわけじゃない。言い訳出来ることでも無いけど、虚勢張ってハリボテの力を誇示しながらじゃなきゃ強く生きれなかったし、私の精神はそうする事でしか自分を保てないように出来てる。絶対に何度その状況に陥っても、私は私に悪意を持って接してくる人間を許さないし、自分を傷付ける人間はみんな死ねばいいという考えは変わらない。でも、何故私があの人に虐げられなければならなかったのかという問いが頭から切り離せないのと同じくらいに、何をする時も自分がした事によって不幸になる時もずっと切に願ってることがある。私は本当はずっと私に向けられる悪意が恐ろしくて堪らない臆病者で、傷付けられる事を恐れるが故に傷付ける側に回った最低な人間なので、それを願うのは烏滸がましい事だと理解してる。それでも、この世に生を受けてしまったことも、それによって誰かの人生を狂わせてしまったことも、私の放った一言で狂気に蝕まれて過ちを犯した人が居たことも、その人が自責の念に駆られて自ら命を断つのを見殺しにしたことも、真っ当に生きれない現状も、死にきれずに生きてしまってる私自身のことも、全部誰かに許されたいのだ。全ての人に許されなくてもいいし、誰に許されたいのかも分からない。でも誰かに許される事をずっと願ってた。本当に許して欲しかった人はもしかしたら今もうこの世に居ない人なのかもしれないとも思う。許されるということは自分ではどうしようもなくて、相手の気持ちに委ねることだから、難しい。私はいつからか、誰かに許されれば今度こそ真っ当に生きれるんじゃないかと夢を見てしまってたのかもしれない。現実がそんなに自分に都合良く出来てるわけがないし、私にはそんな夢を見ることすら許されないと言われても仕方がない。生まれてきてしまったその罰を受ける為に生かしてやってるだけだと言われて、一度は受け入れたその言葉を、否定し続け父親に憎しみを持ち続けることで私は強く生きれたところが少なからずある。でも父親が否定した私という存在は、人を傷付けてその人にも傷付けさせて、一人で死なせてしまった。悲劇のヒロインぶってる訳でも何でもなくて、本当に、生まれてきた事が罪だというあの人の主張はあながち間違いでは無かったのではないかと思う。

 

これだけの年数足りない頭で色々思慮巡らせても自分のこと父親のことは、未だに分からないことだらけだけど、弟と話して一つだけはっきりした事がある。数年前に、弟の連絡先を教えて貰う条件で母親に生活費の送金をした。その時母親が、今更だけどあの男にはもう懲り懲りで人間として尊敬出来ない。だから別れたし、これからは親子二人で助け合って暮らそう、みたいな事を言ってきた。母親はあの人と別れてから仕事もしてなくて金に困ってたから、その時ポンと30万渡した私を金ヅルにして暮らそうとでも思ったんだろう。同じ家で暮らしてた時も、惚れた男の為なら平気で娘を痛めつける様な真似をする浅はかで胸糞悪い女だと思ってたけど、ここまで頭の悪い人間から自分が産まれた事実を恥じる程に嫌悪感が増した。それはいいとして、変に事を荒立て無いように同居の提案を断って、弟に連絡してみた。私が実家から逃げたあと、父親が病的なまでに私を探すことに必死になって仕事も行かなくなり精神科を受診したところ、鬱病の診断を受けたとのことだった。それからしばらくして病気はすぐ治り、弟から見た元の穏やかで子煩悩な父親に戻り母親とも別れて、今は弟と父親の二人でのんびり仲良く暮らしてると言ってた。通話中は父親が仕事に行ってたけど、もしこちらから連絡した時に居合わせたら不味いから、何かあったら連絡しておいでとだけ伝えて通話を切った。弟は元気そうだった。口元を怪我して喋りづらい様子が伺えたらすぐにでも迎えに行って私が養おうと提案しようかとも思ってたのに、全くそんな気配は無くて。弟の様子を見て、父親が穏やかで優しいと聞いて、やっぱりそうかと確信した。検討はついてたけど実際に認めてしまいたくない気持ちがあって、でも弟が安心して暖かい家庭で暮らせてるなら良かったと思う。私が居なければあそこはごく普通の暖かい家庭だった。仲の良い夫婦とその一人息子の家族なら良かった。寧ろ私への躾を無かったことにするなら、あの家は普通だったのだけど。私だけがあの家で癌だったのだ。子が親を選べないのと同じで、親もまた産まれてくる子を選べない。私が居なかったら良かったのに、とあの人達も私も、たぶん弟もそう思ってる。望まれない命なら何で産まれたんだろうか、何でもっと子供を欲してる家庭に産み落としてくれなかったんだろうか、と考えても意味の無いことを延々と脳みそがどうにかしようとしてる。もう考えることを辞めたい。これ以上いくら考えても私が欲してるものは手に入らないし、現状の打開策を模索する為の脳みそに切り替えたほうが時間を有効に使えるのに。考えたくない事を一生懸命考えて、思い出したくもないのに事細かに覚えてて思い出して、馬鹿じゃなかろうか。忘れられたらどんなにいいかと思う事もあるけど、それを許さない脳みその造りみたいなので、どうせならと色々調べてたら意外と興味深い、マインドコントロールとか。もうそろ思考シャットダウンする為の荒業(薬)かけるのでここまで読んでくれた物好きな方、ありがとう。一気にここまで書き終えたから指痛えし文章に打ち直すのはあまり苦じゃないとはいえ少し疲れたので寝ます。今回糞親父のこと書きまくったから罪とか罰とか厨ニくさい語句沢山出てきたけど(私のセンスじゃないからな)親父、ドストエフスキー好きだったのかな。良作よな、罪と罰。おやすみ。

禁断の果実は甘かった

 

 

 

フォロワーが冬コミだか夏コミだかに参加するって聞いて私も小説書こうかな、書きたいなって思ったけどパソコン面倒だし、期間内に書ききれなかったらどうしようっていうプレッシャーに殺されそうになったから辞めた。ド底辺メンヘラなのでやる気を継続出来ないとかで、そこは本当に情けない。何かしら文章が書きたくなったのでとりあえずブログ開設することにした。はてなブログは何年か前に少しやってたけど、承認欲求得る為に利用する形になってたので、このブログはただただ自分の脳内を自由にぶち撒けるだけの掃き溜めにしようと思う。拙い文章で申し訳無いけど読んでくれてる人ありがとう。

 

禁断の果実ってのは、「手にすべきではないもの。あるいは欲しいと思っても手にすることは禁じられていることを知ることにより、かえって魅力が増し欲望の対象になるもののこと。」らしい。タイトルの元ネタは、神様が自分に似た姿のアダムを作ってエデンの園に住まわせたけどアダムが寂しい〜つって神様にイブを作って貰って二人で暮らしてた。エデンには二本の目立つ樹があって一本は生命の樹、もう一本は知識の樹、神様に知識の樹になる果実(禁断の果実)は食べたらいけないと言われてた。二人は禁断の果実を食べるなと言われてたにも関わらず蛇に乗り移ったサタンに唆されて禁断の果実を食べてしまい楽園から追放されてしまう、という話。短くまとめたつもりがえらい長えな。(あと詳しいことは創世記(旧約聖書)でエデンの園と人間の創造の章から読めば書いてるんで気になる方はどうぞ。うる覚えでわざわざ調べることもしてないので上の内容で違う箇所があっても大目に見てくれ。)

 

禁断の果実を食べた二人は、楽園から追放されてしまったわけなんだけど、勝手にこの話を自分とその周辺の人間を当て嵌めて考えてみた。私にとっての禁断の果実は、適切でない量の処方箋・市販薬、違法薬物だとすると、唆してきたサタンは違法薬物を勧めてきた人間か、処方箋・市販薬ODの存在を教えてくれた元彼か。まあそこはどうでもいいし、誰でもいい。神様はまあ置いといて、楽園は周囲のまともな人間、現実世界か。で、考えたときに私は何故禁断の果実に手を出したんや、と思ったんだけど、まあ単純に、誘惑に弱い人間だったからだろうなと思う。初めての彼氏はたぶんメンヘラだったので向精神薬なんかに詳しかった気がするけど、その彼氏とは何やかんやあって別れた。まあその別れを最後にその彼氏とは永遠のお別れになっちゃったわけなんだけど(笑)その後また何やかんやあって知人の家にお世話になることになって、その時期一回目の自殺未遂をした後、ようやく精神科のお世話になる事に。それからは元彼の見様見真似で処方箋ODしたりスニッフしたりしながら援交したりたまにテキ屋の仕事に行ってみたりしてた。暫くしてテキ屋の仕事仲間の家で、無事違法薬物デビュー。また入院したり自殺未遂したり飲食やったり飲み屋やったり何やかんやあって今こうして結婚するにまで至った旦那と知り合い、今は健全に(笑)処方箋・市販薬ODでやり過ごしてる。でも去年の入院で遂に、薬物依存だか中毒だかの診断がついたお陰で減薬が辛くて辛くて死にそう、本当に。離脱症状を緩和する為また違法に手を出したり逆効果なのに医者は何も知らずに糞みてえな処方を続ける。少しは何か勘付いてるのかもしれないけど何も言ってこないから良しとする。

 

こう見てて、しっちゃめっちゃかな生き方してるなーと思う。禁断の果実に手を出した二人は楽園から追い出されたけど、薬に手を出した私は現実世界のまともな人間の輪から外された。いや、自ら外れることを選んだんだと思う。何か辛いことがあったから、誰かに唆されてしょうがなかった、なんてのは欺瞞だ。どんなに辛い思いをしていても前を向いて誘惑に負けず正しい道を歩んでいってる人間はちゃんと居る。それが出来ずに唆されて楽な方へ逃げ込んだのは私だ。だからと言って今更前向きに正しく生きようなんて事にはならないし、そんな都合良くはいかないので、私はこのまま誰にも言い訳せずに自分は加害者だと開き直りながら薬中人生を謳歌していこうと思う。なるべく優しくて正しい他人様には迷惑を掛けないように。追い出されたアダムとイブがどうなったのかは置いといて、まともな人間の輪から外れた私はたとえ行く先が地獄であろうと死ぬまで薬の奴隷を続けることになると思う。離脱症状やバットドリップでしんどくて仕方ない時もあるけど基本的に楽しい薬中ライフは、謂わば緩かな監獄だ。監獄と呼ぶには優しすぎる、けど決して抜け出せない。狭い檻の中で少しの快楽に溺れながら甘い禁断の果実に殺されていくのも悪くないなと思う。

 

ここまで書いたけど勿論薬物乱用も違法薬物も、本当に、精神だけじゃなく人生諸共ぶっ壊れて良い人にしかオススメしない。つーか誰にもオススメはしない。非推奨。ここまで書いても、薬物乱用や違法薬物を誘発してなんちゃらかんちゃら〜とか抜かす脳みそすっからかんの糞アスペが居ると思うけど、たぶんこんな読めたもんじゃない恥ずかしい文章最後まで読む人は大抵私の愛する頭おかしいフォロワーの誰かだろうから必要な情報の取捨選択くらい出来ると思ってる。オチも何も無い終わり方になるけどとりあえず、禁断の果実は甘くて辛かった。